科学万能の二〇世紀にも、依然として呪《のろ》いや祟《たた》りという言葉は残っている。そして現代でもなお、呪いによって人生を大きく狂わされたり、命を失ったりした人々が、数多く存在しているのだ。
呪いは太古の昔から、他者に対して恨みや憎しみを抱く人々によって、相手をおとしいれる武器として用いられてきた。心理学者たちの意見では、相手がわに不幸や災難を恐れる気持ちが少しでもある場合、呪いは効力を発揮するというのだ。
二〇世紀に今も生きつづける呪いのルーツは意外に古く、そもそも神々や悪魔を対象に、災難をふりはらう呪術《じゆじゆつ》の儀式が行なわれたのは、数千年前の古代エジプトが最初である。当時は呪術師や神官が、呪文や護符やロウ人形を使って、呪術を行なっていた。
古代エジプトの『死者の書』には、魔法の呪文がきざまれた数百種の護符とその利用法が記されている。人々は目に見えぬ悪霊から身を守るために、これらの護符をお守りがわりに持ち歩いたのだ。
当時のエジプトでは、ロウ人形による呪殺術がさかんに行なわれていた。紀元前一二〇〇年代に、魔術師フィと手を組んだ数十人の大臣や高官が、エジプト王ラムセス三世を、ロウ人形を用いて呪い殺そうとした事件がある。
魔術師フィは、悪神アペプの名を記したパピルスとロウ人形をつくって大地に置き、左足で蹴り倒して石の槍《やり》で突き刺し、それから十二日間のあいだ毎日、ピンでロウ人形を突き刺した。
そしてラムセス三世への呪いの言葉を浴びせながら、十三日目にロウ人形を火の中に投げ込んだのである。だが、ラムセス三世につかえる魔術師に嗅《か》ぎつけられ、陰謀は発覚して、魔術師フィや大臣や高官たちは死刑にされてしまった。
いっぽう古代バビロンでも、紀元前二〇〇〇年ごろが呪術の最盛期で、『ハンムラビ法典』(紀元前一七〇〇年代)にも、「もし、ある者が他者に対して呪いを行なったら、当人は死の報いを受けるべし」と記され、呪殺術の禁止を定める法令が記されている。
古代ギリシアでも紀元前五〇〇年代、呪術師オルフェウスが�オルフェウス教�を創設し、呪術が大流行したという。悪霊の呪いをふせぐために、�魔法の手�の銅像がつくられたほどだ。悪霊が好む蛇を�魔法の手�にきざみこんで、悪霊を呼びよせ、その手のなかに悪霊を封じこめてしまう呪法である。
呪術の流行は、ローマ帝国時代にピークに達した。皇帝ネロ(紀元五四—六八年在位)は法律で一切の呪術を禁止しながらも、いっぽうで呪術師を招いて政治を行なっていたし、アウグストゥス皇帝(紀元前二七—紀元一四年在位)も、呪術禁止令を発しながらも、みずからは呪術を行なっていた。
中世に魔術が大流行したイギリスでは、一五六三年に、エリザベス女王(一五三三—一六〇三)がみずから「妖術《ようじゆつ》・呪術禁止法」を発令した。人に呪いをかけて殺そうとした者は、絞首刑に処せられることになったのである。
「妖術・呪術禁止法」が完全に廃止されたのは、なんと今世紀の一九五一年になってからのことだ。とくに魔術の荒れ狂ったエセックス州では、なんと一九三〇年代まで、魔女かどうかを判別する�魔女泳がし�の儀式が毎年おこなわれていたという。
さらに最近になって世界のあちこちで、なぜか悪魔教団や黒ミサの儀式が、大流行しはじめたのだ。そしてそれらの悪魔教団や魔女集団は、単に黒ミサの儀式をおこなうだけでなく、ひそかに呪殺法を実行しつつあるという。
そのなかのあるものは、呪殺術を使って、ある特定の人物を暗殺するという、一種の殺人結社に変貌《へんぼう》しつつあるというから、恐ろしいことだ。