ふとしたことから、黒魔術の呪いを招いてしまった、あるブラジル女性の話である。名前は、マルシア・F。大学の心理学部の卒業生で、事件のあった一九七三年当時、二十八歳だった。
その年五月、マルシアは家族たちと、サンパウロ近辺の大西洋岸に旅行に出かけた。ある日、みんなでぶらぶら浜辺を歩いているときのことである。マルシアは砂のうえに、何か奇妙なものを見つけた。
近づいてよく見ると、一五センチほどの背丈の女性の石膏《せつこう》像で、長いあいだ波に洗われたらしく、塗料がほとんど剥《は》げ落ちている。マルシアが拾いあげて、興味深げに眺めていると、おばが近づいてきた。
「あら、いやだ……」
おばは、とんでもないというように、眉をひそめた。
「そんなもの、早く捨てたほうがいいわよ。不吉だわ」
おばは、それが海の女神イェマンハの彫像で、明らかに誰かが、自分の願いをかなえてもらった返礼に、そこに置いたものだろうと、説明した。
「そんなものを家に持って帰ったら、大変。あなたの身に悪運がふりかかるわよ」
しかしマルシアは、おばの忠告をただの迷信だと一笑にふした。のみならず、友人と共同生活していた下宿に、その彫像を持ち帰ってしまったのである。女神像は、部屋のマントルピースのうえに置かれた。
しかしそれからが、悪運のはじまりだった。まず数日後、マルシアはチョコレートを食べたあと、急に激しい腹痛に襲われて、床のうえをころげまわった。医者にみてもらうと、悪性の食中毒だという。
その後は体重が落ちはじめ、全身がけだるくなり、どんどん活力が衰えていった。しまいには血を吐くようになり、医者に行ってレントゲンをとってもらうと、肺に影があるという話だった。
週末を両親の家で過ごしたあと、マルシアはまた下宿にもどってきた。ところがその晩、料理をしている最中、圧力|鍋《なべ》が破裂し、両腕と顔に大やけどした。災難はそれだけで終わらず、今度はなんとオーブンが爆発して、銅板がマルシアめがけてまっしぐらに飛んできたのである。
事故を調べた技師は、何がどうなっているのか、わけがわからないと言うだけだった。あとで聞いてみると、ちょうど圧力鍋が爆発した瞬間に、両親の家では、壁にかかっていたマルシアの肖像画が、何の原因もないのにはね落ちたということだった。
「やっぱり、あの薄気味悪い女神像のせいなんじゃないの」
と、両親は心配した。
「一日も早く、処理したほうがいいよ。もっと大変なことが起こらないうちに」
それでもマルシアは意地をはって、あくまでそんなこと迷信よと、せせら笑うだけだった。
ところがまた下宿にかえると、今度はマルシアは、�自殺衝動�をおぼえるようになった。横断歩道をわたっているときなど、突然走ってくる車に飛び込みたいという、強い衝動を感じるのだ。
また、マルシアの部屋はアパートの十五階にあったが、朝起きて、窓を開けるたびに、自分のなかで何かの声が、「身を投げろ」とうながすのが、聞こえるような気がするのだった。
事はますます深刻になって行った。その晩マルシアがベッドに入ると、いつもの寝室が、何か見知らぬ存在がうようよしているように感じられた。その見知らぬ者たちがベッドのなかに入ってきて、マルシアの肉体をあちこち所かまわずさわりまくるのだ。
そして数日後の晩、マルシアは自分の体のうえに、たしかに一人の男の体の存在を感じた。その体が彼女のうえにのしかかり、果ては男のペニスが、自分のなかに入ってくるのが感じられた。
見知らぬ男が彼女の肉体を犯しつづけるあいだ、マルシアはなすすべもなく、そのまま横たわったままだった。そんなことが幾晩もつづいて起こり、しまいに気が狂いそうになったマルシアは、とうとうまた両親の家にもどった。
友人の紹介で、あるオカルティストの事務所を訪ねたマルシアは、彼に一部始終を話してきかせた。オカルティストは、ただちに土地のウンバンダのセンターに行くように、彼女にすすめた。
ウンバンダというのは、ブラジルではごくポピュラーな、アフリカ色の濃い心霊主義的宗教の総称である。さっそくマルシアは、紹介されたウンバンダのセンターをたずねた。ルーム・メートの忠告にしたがって、例の女神像も持っていった。
マルシアの語る一部始終を聞いた、ウンバンダのセンターの主催者は、これは間違いなく、女神像を持ち去ったことで、彼女に向けられることになった黒魔術のトラバルホ(しわざ)だと断言した。
主催者に言われて、マルシアが女神像をあらためて見ると、わずかに残った塗料の部分が、自分の体の損傷を受けた部分と、ぴったり一致しているのに気づいた。両腕、首、顔のやけどの箇所は、彫像の塗料とぴったり一致するし、背中のしみは肺に見つかった影のちょうど上である。
ところで、女神像にはまだ、青い目の部分に塗料がわずかに残っている。
「これ以上、この像を持っていたら、つぎはあなたの目に何かが起こりますよ」
主催者におどされたマルシアは、早々にその女神像を、浜辺のもとあった場所にもどした。すると、それまで打ち続いた悪運は、てのひらを返したように、ぴたりと止んでしまったという……。