遠い昔から、美しく輝く宝石には、超自然的なパワーが宿っていると信じられてきた。歴史に名を残す大王や権力者たちは、あらゆる犠牲をはらい、ときには戦いをしかけてまで、それらの宝石を手に入れようと夢中になった。だから古今東西の戦争の歴史のなかには、宝石にまつわる血なまぐさい物語が無数に秘められているのだ。
宝石のなかでも、あまりに神秘的な美しさゆえに、人々の欲望をそそり、運命を大きく狂わせたものは、ダイヤモンドだろう。そのなかでも、歴史上とくに有名なのは、大英帝国の王冠を飾る、�コーイ・ヌール�と名づけられたダイヤモンドである。今から五千年以上前にインドのゴルコンダで発見された、もっとも歴史の古いダイヤである。
最初は八〇〇カラットもあったが、このとき山のような形をしていたので、コーイ・ヌール(光りの山という意味)と名づけられた。その優雅な名前に反して、歴史上これほど呪われたダイヤもめずらしいだろう。
ダイヤの悲劇は、一四世紀にはじまった。ムガール帝国の二代目皇帝となるハマユーンが、一三〇四年にマルワ王国を征服したとき、王国の宝物だったこのダイヤを手に入れたのだ。
その後ダイヤは、ムガール王国の権力のシンボルとなり、クジャク王冠の石に用いられたが、その美しさは周辺の国々にもすっかり有名になった。一七三九年にペルシア王ナディル・シャーがムガールに攻め入ったのは、ダイヤを奪うのが目的だったとも言われる。
ムガール王国を征服し、残虐な略奪を働いたナディル王は、しかし目的のダイヤだけはどうしても見つけられなかった。悔しがっていると、ムガール王のハーレムの女が裏切って、そのダイヤが王のターバンに隠されていることを密告した。
ナディル王はある晩、ムガール王を和解のためと称する宴に招いた。宴も終わりに近づいたとき、ナディル王はムガール王に突然、和解のしるしに、互いのターバンを交換しようといいだしたのだ。
ムガール王はショックで心臓がとまりそうだったが、何も言うひまもないうちに、ナディル王はさっさと無数の宝石をちりばめた自分のターバンを脱ぎ、ムガール王のターバンと取り替えてしまった。
事情を知っていたナディル王の配下の者たちは、ムガール王がショックの叫びをあげるか、武力で奪《と》りかえそうとするかと思って、身がまえた。しかしムガール王は落ちつきを取りもどし、悔しそうな顔を見せなかったので、ナディル王は一瞬、目的が失敗したのかと不安にかられた。
だが、ナディル王がテントにもどってターバンを脱ぐと、長いあいだ狙《ねら》っていたダイヤがころがり落ちた。かくて彼は意気揚々とペルシアに凱旋《がいせん》したが、その途中で叛臣《はんしん》に暗殺されてしまう。コーイ・ヌールは王子のシャー・リーズに伝えられたが、シャー・リーズ自身も叛臣アガ・ムハメットに捕らえられてしまう。
ムハメットはなんとかしてコーイ・ヌールの隠し場所を知ろうと、王子の耳をそぎ、手を切り落とし、頭ににえたぎる油を浴びせた。しかしどんなに責められても白状しようとしない王子に、業をにやしたムハメットは、とうとう両眼をくりぬいてしまった。
それでもかろうじて命びろいしたシャー・リーズは、一七五一年に、アブダビ王朝の王アフマッド・シャーにコーイ・ヌールを贈った。しかし不吉なダイヤはそこでも、一族のあいだにつぎつぎと憎しみの種をまきつづけた。
アフマッド王の死後を継いだスジャーマンは、弟のシャー・ジュー・ジャに王位を奪われ、槍《やり》で両眼をつぶされて城塞につながれてしまう。しかしコーイ・ヌールの在《あ》り処《か》は、どんな残酷な拷問にかけられても明かさなかった。
じつはコーイ・ヌールは、スジャーマンが捕らえられていた城塞の壁に隠されていたのだ。数年の間は安全だったが、そのうち壁土がもろくなって、ダイヤの尖った角が壁面に頭を出してしまった。
ある日城塞の番人がおかしいと思って掘ってみると、みごとなダイヤが現れた。その後、コーイ・ヌールはシャー・ジュー・ジャのものとなり、つねに大宴会のときには王の胸できらきら輝くようになった。
が、王の幸運も長くはつづかなかった。第三王子のマフムッドに裏切られ、王位を奪われてしまったのだ。シャー・ジュー・ジャはラホールのシング王のもとに亡命するが、結局シング王に宝石を巻きあげられてしまう。
その後コーイ・ヌールは、一八四九年にラホールを征服したイギリスの東インド会社のものになり、大英博覧会に出展されたあと、当時のヴィクトリア女王に献上され、一躍世界の脚光を浴びた。
女王はロンドンの水晶宮で開かれる世界最初の万国博にそれを陳列したので、当時世界最大のダイヤとして、人々の注目を集めた。
博覧会に陳列されたときは、コーイ・ヌールは約一九一カラットにオーバル・カットされていた。ヴィクトリア女王はそれをブリリアント型に再カットするため、一八六二年にアムステルダムから宝石師を招いて、わざわざ宮廷内でダイヤのカットにあたらせた。加工には三十八日間かかり、約一〇八・九カラットほどになった。
ヴィクトリア女王は、コーイ・ヌールの呪いの話を知ってはいたが、このダイヤは男性には不運をもたらすが、女性には不幸をもたらさないと言われていたため、あまり気にしなかったようだ。
ダイヤは初めは女王が自分のブローチにとりつけていたが、女王の死後は正式にイギリスの宝器の一つとなり、アレキサンドラ王妃(エドワード七世の妻)は戴冠《たいかん》式にこれを身につけ、メアリ王妃(ジョージ五世の妻)も王冠に飾っていたが、一九三七年にエリザベス王妃(ジョージ六世の妻、エリザベス二世の母)の戴冠式用の王冠が作られたとき、それに移された。
エリザベス王妃は、たまにそれを王冠からはずしてブローチに用いていたが、現在のエリザベス二世は、一度も用いたことはないという。このダイヤの不吉な過去を恐れてのことであろうか。
かくて長きにわたって多くの悲劇に彩られたコーイ・ヌールは、英国王室の財宝のなかに、今は静かに眠っている。それら悲劇的な歴史のドラマを、怪しいまでの輝きのなかに秘めながら……。