呪われたダイヤといえば、オルロフのダイヤも有名である。最初は五〇〇カラットもあった巨大なダイヤで、時価三十億円以上はするといわれる。けれど呪われたエピソードのため、現在はモスクワのクレムリン博物館にひっそりと眠っているのだ。
オルロフのダイヤはインドで採取されたが、最初の持ち主は一七世紀のムガール帝国の王子シャー・ジャハーンだった。最愛の妃の死を悲しんで、名高いタージ・マハールの廟《びよう》を建てた王子である。
このダイヤを見るなり、王子はなんという神秘的な美しさだろうと感嘆した。彼はそれをヒンズー寺院の神像の目にはめこみ、武装兵を見張りにたてた。そして、これを無理やり手に入れようとしたら、必ず神の怒りにふれ、呪いがふりかかるだろうと予言したのだ。
王子シャーの予言は、恐ろしいことにずばり的中することになる。それから約百年後の一七五一年、この巨大なダイヤは、あるフランス人兵士に盗み出されてしまったのだ。
当時、オルロフのダイヤは、マイソールのカヴェリ川に浮かぶ要塞島のヒンズー教寺院に秘蔵されていた。寺の外側は、約六・四キロの防壁に守られ、その内側にさらに七重の塀があるという厳重な警戒だった。
そのころ、インドの外人部隊から脱走した、ベッセルというフランス人兵士が、寺院の近くで働いていた。神像の目にすばらしいダイヤがはめられているという噂《うわさ》を聞いた彼は、ぜがひでもそれを手に入れたいと思ったが、キリスト教徒は寺院の四番目の塀から先は入れないことになっている。
そこで彼はヒンズー教に改宗し、寺院の僧侶《そうりよ》たちのご機嫌をとって、運よく寺の守衛にやとわれることができた。そしてある暴風雨の夜、見張りが手薄になったすきに、ついにダイヤを盗みだしてしまったのだ。その後は嵐のなかを、はるばるインド東海岸のマドラスに逃げのびた。
そこで兵士はイギリス人のタナー船長に、二千ギニー(約二百万円)でダイヤを売りわたしたが、わずか数カ月でその金を使いはたしてしまい、食い逃げしようとして、食堂の主人に殴り殺されてしまった。
いっぽうタナー船長のほうは、イギリスに帰ってから、そのダイヤを宝石商ガーデンに三倍の値段で売りとばした。ところがその後、船長はひどいアル中にかかり、「ああ、ムガールの呪いの星が……」などと叫びながら、死んでしまったのだ。
いっぽう宝石商のガーデンのほうも、ダイヤを買い取った直後、旅先で強盗におそわれ、ピストルで撃ち殺されてしまったのだ。彼を殺した強盗も、一カ月後には捕らえられて断頭台におくられた。彼が持っていたダイヤはその後しばらくはゆくえ知れずになってしまったのだ。
ところが一七七四年、突然このダイヤが、アムステルダムの宝石市場で競売にかけられた。このときは三〇〇カラットにオーバル・カットされていたが、各国から集まった宝石商たちは、「まるで化け物ダイヤだ、何か見ているだけでゾッとする」とか、「この怪しい美しさに魅いられたら、一生とりこにされてしまいそうだ」などと薄気味悪がって、なかなか買い手がつかなかった。
ユダヤ商人がすごすごと品物をたたんで引き上げようとしたとき、このときオランダを訪問中だった、オルロフ伯というロシア貴族が、とつぜん五〇万ドル(約一億一千万円)で買いとろうと声をかけた。
当時としては国の一つぐらいは買える額だったが、オルロフがここまでしてダイヤを買ったのは、じつは主君で愛人のロシア女帝エカテリーナ二世に捧げるためだったのだ。ダイヤ・コレクターとして知られるエカテリーナは、この贈り物に大喜びして、オルロフのダイヤと名づけて、それを王笏《おうしやく》の双頭のワシのうえに飾りつけた。
ところがそれからしばらくすると、オルロフの期待に反して、エカテリーナ二世はすっかり人が変わってしまった。それまでオルロフのことを嘗《な》めるように寵愛《ちようあい》していたのが、急に冷たくなってしまったのだ。
突然オルロフをお払い箱にしてしまったエカテリーナは、その後何人もの男をつぎつぎ自分の寝室に呼び入れるという、だらしない性生活をおくるようになった。彼女がその後寵愛する男の数は、二十一人は下らないという。
また、彼女の命でダイヤを王笏にとりつけた細工師は、弟子の恨みをかって殴り殺され、あのオルロフ伯もその後破産の憂き目にあい、「あのダイヤの呪いだ……」と狂ったように叫びながら、世を去ったという。
その後も、オルロフのダイヤの呪いの恐ろしさは衰えはしなかった。エカテリーナが六十四歳で死ぬまで、取っかえ引っかえした愛人は、大半が怪死している。さらにエカテリーナの死後、ロマノフ王朝では、六人の皇帝のうち三人が暗殺され、あとの三人も不吉な最期をとげた。
そして一九一七年、ついにロシア革命がおこり、皇帝ニコライ二世と皇后と皇太子と四人の皇女たちは捕らえられて、銃殺されてしまった。ほかにもロマノフ王家の親戚縁者はじめ、王家につかえた重臣から身分の低い下働きにいたるまで、みな捕らえられて処刑されてしまうのだ。
かくて数百人の命を無残に奪った恐ろしい呪いのダイヤは、一九一八年にクレムリン博物館におさめられ、人々の前から永久にその怪しい姿を消してしまったのである。