呪われた家系といえば、一番先に頭に浮かぶのは、やはりあのケネディ家ではないだろうか。ケネディ大統領といえば、ダラスの悲劇があまりに有名だが、じつは悲劇に襲われたのは、何もケネディ大統領だけではないのだ。そもそも彼の一族自体が、�呪われたケネディ家�と呼ばれ、二十数年のあいだに、なんと十人あまりの親族が、つぎつぎと怪死や不運に襲われているのだ。
その皮切りは、ケネディ家の長女ローズマリーであろう。一九四一年当時、二十一歳のうら若き乙女だった彼女は、急に精神錯乱を起こし、それ以来ずっと精神病院の壁のなかで暮らしている。
二人目の犠牲者は、ケネディ家の長男ジョゼフ。第二次大戦に軍人として参戦していた彼は、一九四四年七月、ベルギー領にあるドイツ軍基地を爆破する使命を帯びて、飛行機で飛びたった。
ところが突然、機体が空中爆発を起こし、ジョゼフは二十九歳の若さで、無残な最期を遂げてしまったのだ。
翌年の八月には、次女キャサリンの夫のハーティントン侯爵がやはり戦死し、一九四八年にはキャサリン自身も、南フランス上空を飛んでいた飛行機が墜落して、世を去っている。
そして一九五六年には、三男ロバートの舅《しゆうと》夫妻が、やはり飛行機の墜落事故にあっている。
一九六一年には、ケネディ家の当主であるジョゼフが、脳溢血《のういつけつ》で倒れて床についたきりになり、翌々年には、ジョン・F・ケネディ大統領の息子パトリックが、風邪をこじらせて死亡し、その十月にはケネディ大統領自身が、ダラスの歓迎パレード中に暗殺者オズワルドの凶弾に倒れている。
翌年には四男のエドワード(現エドワード上院議員)の飛行機が、イギリスのサザンプトンの畑に墜落し、彼はケガだけで助かったが、パイロットは命を失っている。
さらに一九六六年には、三男のロバート司法長官の妻エセルの兄が、飛行機事故死し、翌年にはその妻が喉に肉をつまらせて窒息死し、一九六八年には周知のように、ロバート司法長官自身が、アラブ青年サーハンに暗殺されている。
これだけ並べると、あまりのもの凄さに、やはりただの偶然とはとても考えがたい。一九四四年の長男ジョゼフの死から、二十数年余りのあいだ、なんと十人もの死者が出ているのだ。それも長男や長女から次男、次女へと、年齢の順に事件が起こっているというのも、何やら不気味である。
ついで一九六九年には、四男のエドワード上院議員のスキャンダルが、話題をよんだ。その七月十八日、マサチューセッツ州のエドガータウンで、前年に殺されたロバート司法長官をしのぶ集いが開かれていた。
その集いの帰り道、車を運転していたエドワード上院議員は、スピードを出しすぎて、海に転落してしまった。自分はようやく這《は》いあがることができたが、事件は思いのほか大きく膨らんでしまった。
翌朝、海に沈んでいた車が引き上げられ、そのなかには、亡きロバートの秘書だった若い女性が、無残な死体になって横たわっていたのだ。
警察の捜査がはじまり、マスコミは事件をスキャンダラスに書き立てた。事故の張本人のエドワード上院議員は、さっさとどこかに姿をくらましてしまった。マスコミ陣はいっせいにケネディ家の屋敷に押し寄せたが、エドワードの行方は、ようとして知れない。
肩透かしをくったマスコミは、腹立ちまぎれにあることないことを書き立てた。エドワードと秘書嬢のありもしない情事を匂《にお》わせたり、三角関係のもつれからくる犯罪の臭《にお》いがすると書き立てたりしたのだ。
法廷に召還されたエドワード議員は、やっとテレビに登場して、事故の弁明を行なったが、なにを今になってと、一般視聴者の反応は冷たかった。なんとか上院議員の職だけは首にならなかったが、もう大統領当選の望みはないだろうと、もっぱらの噂《うわさ》だった。
ところが、エドワードはこれにも懲りず、五十歳になった一九八二年に、またもやスキャンダルを起こしてしまったのだ。
その十一月十七日、パリの超一流ホテルから、一台の特別仕様のベンツがすべるように出てきた。そのなかにはエドワードが、愛人のブロンド美人とともに乗っていたのだ。周囲の建物のかげにひそんでいたカメラマンから、つぎつぎとフラッシュがたかれ、ついにエドワードは八四年の大統領選への出馬をあきらめねばならない羽目になってしまった。こうして彼は、大統領選出馬の機会を、半永久的に逃してしまったのである……。