古代ローマの皇帝カリギュラは、ネロとならぶ希代の残虐皇帝である。
彼の容貌《ようぼう》からして、人をむかつかせるようなものだった。デップリ太って、体中にびっしり毛がはえている。ひたいがはげ上がり、頬《ほお》のげっそりこけた異様な顔をしていた。
これだけでもじゅうぶん醜いのに、カリギュラは鏡に顔を映して、「ありとあらゆる恐ろしげな渋面」を作ってみるのを、楽しみにしていたというのだ。
それでも西暦三七年にカリギュラが即位したとき、ローマの人々は期待に胸をふくらませたという。二五歳の若き皇帝は弁舌さわやかで、その陽気な性格は、前ティベリウス帝時代の謹厳な空気を、一掃してしまうように思われたのだ。
ところがまもなく、人々の期待は絶望へと一変した。病に倒れて生死の境をさまよったカリギュラは、命だけは取りとめたものの、すっかり脳をやられてしまったのだ。このときから、狂人皇帝カリギュラの治世がはじまった。
淫乱《いんらん》なカリギュラは、姉のドルシラ、妹のアグリッピナ、ユリアと、つぎつぎと欲望の犠牲にしてしまった。当時の貴婦人で、彼の毒牙《どくが》をまぬがれた者は一人もいないとまで言われる。
カリギュラは何度も結婚した。なかには数日しか続かなかった例もあるが、カエソニアとの結婚だけは長続きした。カリギュラは、友人が来ると、カエソニアを裸にさせて、友人たちのまえを行ったり来たりさせては悦にいっていた。
しかしいかにカエソニアに夢中だったからといって、他の女との関係を絶ったわけではない。カリギュラは、自分のものである女たちの首にキスしては、こう言うのをとくに好んだ。
「この美しい首も、いったん私が命令すれば、即座に落ちるのだよ」
カリギュラの残酷さと復讐欲《ふくしゆうよく》は、人々の恐怖のまとになった。毒殺、近親|相姦《そうかん》、誘拐、殺人、内臓のえぐりだし、生きながらの火あぶり刑など、残虐なものなら、カリギュラはどんなものにも手を出した。
あるときなど、カリギュラは一人の剣闘士を、夜も昼も鞭《むち》打たせて楽しんだ。その男の脳味噌《のうみそ》が飛び出して化膿《かのう》し、悪臭をはなつようになると、その臭いに耐えられなくなって、ようやく彼を殺すことを許したという。
カリギュラがとりわけ好んだのは、罪人の死刑や拷問にたちあうことだった。皇帝への陰謀を疑われた者は、人々のまえで衣服をはがれて鞭打たれたり、体に烙印《らくいん》をおされたり、鉱山の強制労働に送られたり、円形競技場でライオンや熊《くま》と戦うために送られた。
牙《きば》をむく野獣の前に投げだされ、必死に自分の無実を訴えた騎士は、いったん闘技場から連れだされ、舌をチョン切られてから、また改めてもとの場所にもどされた。
カリギュラのモットーは、「恐れられさえすれば、憎まれてもいい」というものだった。ある日彼は、闘技用の野獣の餌代《えさだい》が大変な巨額になることを聞くと、さっそくつぎのような命令を出した。
「死刑囚を、野獣の餌にせよ!」
三年後の西暦四〇年、彼の暴政に倦《う》んだ貴族たちのあいだで、カリギュラ打倒の陰謀が計画されたが、運悪く事前にもれてしまった。彼らを待ち受けたのは、残酷な血の粛清だった。
謀叛人《むほんにん》をつぎつぎと捕らえたカリギュラは、彼らに残酷な拷問をくわえては、苦しむさまを眺めて楽しんだ。ある者は、体を少しずつ切り刻まれながら、生殺しのままで苦しみ悶《もだ》えながら死んでいった。またある者は、細長い籠におしこめられて、その籠もろともノコギリで切断された。
こうして元老院議員の十分の一が、カリギュラの犠牲になった。人民に愛されていた、彼自身の祖母アントニアも、犠牲者の一人だったという。
カリギュラの死は、予想もしないかたちで起こった。彼が日ごろから一番信頼していた近衛《このえ》軍団の一将校が、毎日みだらな冗談を投げつけられるのに腹をたて、宮殿内の廊下で待ちぶせて彼を暗殺したのである。まだ二九歳の若さであった。
皇帝の護衛兵が駆けつけたときはもう遅く、カリギュラだけでなく、彼の妻カエソニアも、近衛の将校に剣で刺し殺され、幼い娘も壁に叩《たた》きつけられて殺されてしまったあとだった。
カリギュラはあまりに恐れられていたので、彼が死んだという知らせを、元老院や民衆はすぐには信じなかった。彼が自分が死んだという噂《うわさ》を広め、ローマ人が自分をどう評価しているか、知ろうとしたのではないかと疑ったのだ。
カリギュラの死後、憎悪に狂った国民たちの手で、彼の銅像はすべてぶち壊されてしまった。現代に残っているのは一つだけだが、それさえ本当に彼の像かどうか分からないという。