のちに呂太后となる呂稚は、秦《しん》の始皇帝の時代に中国に生まれた。夫は漢王朝の創始者として知られる劉邦《りゆうほう》(のちの高祖)である。若いころの彼はうだつの上がらない下っぱ役人だったが、呂稚の父は彼をただ者ではないと見抜き、いやがる娘を無理やり嫁がせてしまった。
彼の安月給では食べていけないので、呂稚は嫁いだその日から畑を耕さねばならなかった。しかし父の目に狂いはなく、劉邦はやがて秦に反旗をひるがえし、宿敵の項羽《こうう》を滅ぼして、皇帝位についてしまったのだ。
だが皇帝になってからの彼は、古女房をほったらかし、女遊びにせいを出して、呂太后を悩ませた。それでもじっと耐えしのんでいたが、やがて夫が死んで息子の孝恵が皇帝になると、待ってましたとばかり復讐《ふくしゆう》を開始した。
まず夫の愛人だった戚《せき》夫人親子を捕らえると、子を殺したあと、屈強な宦官《かんがん》を二人連れて夫人の入れられた牢獄《ろうごく》に向かった。夫人のやつれても美しい顔を見ると、呂太后はこの女が夫を自分から奪ったのだと思うと、憎しみがメラメラ湧きあがってきた。
「お前の息子は今ごろあの世で、さぞかし先帝にかわいがられているだろう」
呂太后が勝ち誇ったように言うと、戚夫人は悲痛な声をあげた。
「ではお前は、あの子を殺したのか! さっさと私も殺すがいい。あの世で息子と一緒に鬼になって復讐してやる!」
フンと鼻先でせせら笑うと、呂太后は連れてきた二人の宦官に戚夫人の着物をはぎとらせ、左右から思いきり両脚を開かせると、「これが夫をたぶらかした淫婦《いんぷ》のあなか」と、その上を力いっぱい脚で踏みつけるのだった。
数日後、今度は呂太后は、牢から引き出したばかりの凶悪犯二人を連れてやってきた。
「どうだ、いい女だろう? お前たちが好きにしていいよ」
そういうと、戚夫人を素裸にして男たちに投げ与えた。そしてさんざん責め抜かれて息もたえだえになっている夫人に、つぎは毒を飲ませて口がきけないようにし、耳の穴に硫黄《いおう》を流しこんで耳が聞こえないようにして、両眼も無残にくり抜いてしまった。
夫人がついに気絶してしまうと、水をかけて正気にもどさせ、今度はその両腕を切り落とし、血の海のなかでのたうちまわる夫人の両脚をも切り落としてしまった。
あわれなダルマになってしまった夫人の死体を、呂太后は便所に捨てさせた。当時は便所の下に豚を飼っていて、人間の排泄物《はいせつぶつ》を食べさせていたが、呂太后は戚夫人を豚と同じように扱ったのである。
「廁《かわや》に行ってごらん。面白い人豚がいるよ」
呂太后は、息子の恵帝に楽しげに言った。廁にいった恵帝は、地面にころがった奇妙なかたまりを見て、それは何かとそばの者に尋ねた。はじめてそれが、哀れな戚夫人のなれの果てだと知った彼は、涙にむせびながら、母親に「これでもあなたは人間ですか」と食ってかかった。
ショックのあまり、彼はその後国務はそっちのけで酒色にふけり、はては病いになって二三歳の若さで死んでしまった。
その後帝位についたのは、彼の妾《めかけ》の子だった。これも皇后に子がないので、呂太后が彼の妾の子を実の子といつわって帝位につけ、生みの母親を殺してしまったのだ。
だが、その子はやがてすべてを知って、呂太后を憎むようになったので、呂太后はさっさと彼を廃位してしまった。
その後はまったく彼女の一人舞台で、自分の一族の全員を各地の王侯に任命し、邪魔者をつぎつぎと殺しつづけた。何人殺したか、自分でも分からないほどだ。だが彼女の死とともに、呂氏一族の握っていた実権は、そっくり劉氏の手にもどってしまったというから、皮肉なものである。