ルネサンス時代、ローマのフィリッポ伯は傭兵《ようへい》隊長として、あちこちから引く手あまたの人気者だった。ところが彼が留守ばかりしているあいだに、二〇歳になったばかりの若妻イザベッタが、部下と浮気していることが発覚したのだ。
フィリッポ伯は現場をおさえてやろうと決意して、「明日からフィレンツェ出張だ」と嘘《うそ》をついて、城の近くに待機して妻を見張ることにした。夫の留守をいいことに、大胆にも愛人を城に連れこんで情事を楽しんでいたイザベッタは、かくて愛人との濡《ぬ》れ場を、夫とその手下どもに襲われたのである。
愛人の青年はその場で処刑されたが、イザベッタにはもっと残酷な罰が待っていた。まず城の地下牢《ちかろう》に引きずっていかれ、壁に鉄輪でつながれた。そして無理やり口をこじ開けられ、釘抜《くぎぬ》きで一本一本、歯を引っこ抜かれたのだ。
ギャーッと狂ったような悲鳴をあげてあがきつづけたが、どうにもならない。こうして全部の歯を抜かれてしまうと、口からあふれる血で、白いガウンを真っ赤に染めたまま、イザベッタは地下牢にとじこめられた。
やがて牢内《ろうない》には彼女の垂れ流す汚物がたまり、部屋には息がつまりそうな汚臭がたちこめた。フィリッポ伯はそんな妻をときどき見に来たが、歯のなくなった口で必死に許しを乞《こ》う妻を、薄笑いを浮かべて眺めては、また帰っていくのだった。
しかし、彼の刑罰はここでは終わらない。ある日突然、兵士たちが牢にやってきて、抵抗するイザベッタを無理やり城の一室に連れていった。そこでは部屋の一方の壁が、一メートル四方に大きくくり抜かれていたのだ。
それを見たときイザベッタは、これから自分がどんな目にあわされようとしているかを悟った。彼女は腫《は》れあがった口を必死で動かし、命だけは助けてと哀願したが、返ってくるのは冷たい沈黙だけだった。
兵士たちは、泣きわめく夫人を両側から捕らえて、無理やり壁のくぼみに押しこみ、手早く壁のレンガを積みはじめた。またたくまにレンガの壁ができあがると、つぎに兵士たちは、白い漆喰《しつくい》をレンガのうえに塗りはじめた。
季節は夏、たちまち漆喰もかわき、他の壁面と見分けがつかなくなるだろう。なかで夫人が、どんなに泣こうと暴れようと、誰にも聞こえない。このまま恐怖のなかで狂い死にするか、窒息死していくのが、彼女に残された運命なのだ。
兵士たちはさっさと道具をしまって部屋を出ていき、城はまた、何事もなかったように、しーんと静まりかえったという。