吸血鬼ドラキュラといえば、怪奇映画や小説などですっかりお馴染《なじ》みだが、じつはドラキュラが一五世紀に実在したルーマニアの君主だったとは、意外に知らない人が多いのではないだろうか?
ドラキュラ、別名ブラド・ツェペシュは、一五世紀のワラキア公国(現在のルーマニア)の大公だった。当時のワラキア公国は、東はトルコ、西はハンガリーと、ローマ帝国の野心に、たえず付け狙《ねら》われていた。
一四四四年、ドラキュラの父であるワラキア大公ブラド二世は、トルコのムラト二世から突然の招待を受け、息子のドラキュラとラドウを伴っておもむいた。ところがトルコ側のワナにかかって捕虜になってしまい、二人の息子を人質に取られ、トルコに対する忠誠の誓約書を書かされたあげく、やっとのことで解放されたのだ。
こうして一三歳のドラキュラと六歳のラドウは、人質としてコンスタンチノープルに幽閉されたが、機転のきくドラキュラは、四年後の一四四八年、ひそかに地下牢《ちかろう》を脱出し、故郷のワラキアに逃げ帰ったのだ。
しかしドラキュラを迎えたのは、信じられないような知らせだった。すでに父と兄は一年前、裏切り貴族たちの陰謀にあって暗殺されていたのである。父と兄の墓を掘り返したドラキュラは、怒りと悲しみにはらわたが煮えくり返った。
その死にざまは、見るもむごたらしいものだったのだ。口のなかには土がつめこまれ、必死に土中から這《は》い出ようと、土をかきむしったあとのある、ものすごい形相で息たえていたのだ。父も兄も、土中に生き埋めされたことは明らかだった。このときからドラキュラは、復讐《ふくしゆう》の鬼と化したのである。
一四五六年、ドラキュラは二五歳の若さで、ブラド四世としてワラキア公に即位した。翌年にはチュルゴヴィシテに首都をかまえ、地下牢や拷問室や、高い見張り用の塔をそなえた、絢爛《けんらん》豪華なドラキュラ城をきずいた。こうして彼は、前からの復讐計画を実行にうつす準備を、着々と進めていたのだ。
その年の秋、城の完成パーティが開かれて、ワラキア中の貴族が何千人も招かれた。貴族らは着飾った夫人や子供を連れてやってきたが、つぎつぎと出される豪華な料理や酒にすっかりご満悦だった。
酒宴もたけなわのころ、ドラキュラがよもやま話のついでのように、さりげなく切りだした。
「ところでキミたち、これまで何人の君主に仕えたことがおありかな?」
酔って、口が軽くなっていた貴族たちは、カラカラと笑って答えた。
「さよう、八人でしょうか」
「いや、私なんかは三〇人は下りませんよ」
もっとも少ない者でも、八人という答えだった。彼らは腹のなかで、ドラキュラの地位も長いことではないだろうと、ひそかにあざ笑っていたのだ。
とたんにドラキュラの顔からサッと血が引き、鋭い尖《とが》った声がとんだ。
「忠誠を誓った主君を平気で裏切る虫けらどもめ。余の父や兄を殺したのが、お前たちだということは分かっている!」
ドラキュラの合図で、武装兵士らが、宮殿中の門や扉をばたばたと閉ざしていった。それからは、文字どおりの地獄絵図がはじまった。ドラキュラの命令で、一人の幼児があっというまに八つ裂きにされ、生首からしたたる鮮血が、子供の母親の口に無理やり流しこまれた。
つぎには一人の貴婦人が裸にむかれ、兵士たちの玩具《おもちや》にされたあげく、全身を切り刻まれ、その肉を大なべで煮られて、夫である貴族の口に無理やりねじこまれた。
「裏切り者の末路がどんなものか、いまこそ思い知るがいい!」
その後五〇〇人以上の貴族とその夫人たちが、つぎつぎと宮殿の庭に引きだされ、生きたまま木の杭《くい》に串刺《くしざ》しにされたり、全身を細切れにされて、無残に殺されていったのである。