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美しき拷問の本19

时间: 2020-07-24    进入日语论坛
核心提示:サド侯爵の拷問(1)ところで拷問といえば、その専売特許みたいな存在が、一八世紀フランスの作家、サド侯爵である。言うまでも
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サド侯爵の拷問(1)

ところで拷問といえば、その専売特許みたいな存在が、一八世紀フランスの作家、サド侯爵である。言うまでもなく、あの�サディズム�の語源になった人物だ。
一七六八年四月三日の朝、パリのヴィクトワール広場に、灰色のフロックコートに白いマフにステッキという、きざな出で立ちのサドが、さっそうと馬車から降り立った。彼は通りで物|乞《ご》いをしている若い女|乞食《こじき》に気づくと、つかつかと近づいて、「うちで召使として働く気はないか」と尋ねたのだ。
女がとまどいながらも承知すると、彼は女を馬車にのせ、馬車は牧場や森のなかを走って、やがてパリ郊外アルクイユの瀟洒《しようしや》な邸の前でとまった。サドは女乞食を一階の小部屋に案内すると、ガラリと態度を変えて、荒々しい口調で服をぬげと命じたのだ。女がそれでは話が違うと抵抗すると、「命令に従わないと殺すぞ」と脅し、無理やり着ているものをはぎとった。
そしてサドは女乞食をソファに腹ばいに押し倒すと、縄で手足を縛りつけ、鞭《むち》でいきなり女の尻《しり》を力まかせに打ちはじめたのだ。女が悲鳴をあげると、「黙らないと殺すぞ」と短剣をつきつけてすごんでみせる。
なおもサドは、鞭で女の背や尻を打ちつづけた。おさえようとしても、うめき声はもれ、女は自由にならない手足を必死にあがきつづける。そのうちに鞭がだんだん激しく速くなると、なんとサドは甲高い叫びをあげたかと思ったとたん、その場で射精したのだ。
やっと拷問が終わり、体中血だらけになった女は縄をとかれた。すすり泣きながら下着を着ようとすると、サドがブランデーの瓶を持ってきた。これを傷口につけると、痛みが軽くなるというのである。
ところがそのとおりにすると、ますます飛び上がるような痛みだ。サドが奥に引っ込んだすきに、女は急いで周囲をみわたし、そこにあったベッド・カバーを二枚結びあわせて縄をつくった。さらにそばにあった短刀で鎧戸《よろいど》をこじあけて窓をひらき、ベッド・カバーを窓わくに結びつけて、それをつたって裏庭に滑りおりた。
女は塀をよじのぼって、裏の空き地に抜け、やぶれた下着を足にからませながら無我夢中で走りつづけた。途中で会った村の女にどうしたのかと聞かれて、一部始終を話すと、しだいに人だかりが出来、村中が大騒ぎになった。女は村人の家に保護され、誰かが憲兵隊のもとに知らせに走っていったのである。
サド侯爵は一八世紀、ブルボン王家につながる、そうそうたる名門貴族に生まれた。二三歳のとき、彼は終身税裁判所長官であるモントルイユ氏の娘、ルネと結婚する。父の放蕩三昧《ほうとうざんまい》で経済的に窮していたサド家のほうでは、成りあがりである相手の莫大《ばくだい》な資産が目あて。いっぽうモントルイユ家のほうは、この縁組で王家と親戚《しんせき》になれるのが目的だった。
しかし「アルクイユ事件」は、それまでサドがかぶっていた紳士の仮面を、一気に引きはがしてしまった。隠されていた彼の�サディズム�という異常性癖が、はじめて明るみに引き出されたのである。
サドの悪名はたちまちパリ中にひろまり、女乞食は虐待のおかげで体が不自由になり、仕事が出来なくなったと、莫大な慰謝料を要求してきた。七か月の拘留後、サドはようやく解放された。
しかしおとなしくなったと思ったのも束《つか》の間、またもサドは性懲りもなく一騒動を起こすのだ。つぎの「マルセイユ事件」は、妻子とともに南仏ラ・コストの城に移り住んだサドが、世間を大きく騒がせた事件である。
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