一一世紀に建てられたロンドン塔は、九〇〇年余の長い歴史をひめて、テムズ川の水面に、白い姿をうつしている。しかし一見美しい白亜の塔も、いったん過去の扉を開けば、血塗られた残酷な歴史を秘めているのだ。
城門を入ると、トレイターズ・ゲイトという、重々しい鉄の門が右手に見える。トレイターズというのは、反逆者のことだ。法廷で有罪を宣告された被告は、テムズ川を小舟で運ばれ、この門を通って城内の牢獄《ろうごく》に送りこまれたのだ。
夏目漱石はここを、「冥府《めいふ》に通じる入口」と呼んでいるが、実際、ここから牢に送りこまれて、生きて外に出た者は、ほとんどいない。そのためか、門の周囲には不気味な気配がただよって、いまも犠牲者たちの恨みがこもっているようだ。
天守閣に相当するホワイト・タワーの西側には、いまなお処刑場のあとが残っている。そこに立つ金属のプレートには、ここで死んでいった哀れな犠牲者たちの名と、処刑の年月日が刻まれているのだ。
ところでロンドン塔での処刑者のなかで、もっとも悲惨な最期をとげたのは、おそらくソールズベリー伯爵夫人だろう。
一五四一年、齢《よわい》七〇歳を超える老夫人は、息子のポール枢機卿《すうきけい》が、国王ヘンリー八世の宗教政策を批判したために、処刑されることになったのである。枢機卿自身はフランスに逃れて無事だったが、その報復に、なんと母親が斬首《ざんしゆ》されることになったのである。
ソールズベリー伯爵夫人はヘンリー八世の命令で、ある朝とつぜん処刑場に引きずり出された。夫人にしてみれば、まさに青天の霹靂《へきれき》だったことだろう。夫人はすさまじい形相でわめき散らし、最後までなんとか命を助かろうと、断頭台のうえを逃げまわった。
しかし、薄笑いさえを浮かべた残酷な死刑執行人は、逃げる彼女を追いまわしたあげく、何度も大斧《おおおの》をふりおろし、三度も打ちそこねたあげく、やっと四度目に首を切り落としたのである。
この事件いらい、ロンドン塔を守る人々は、ソールズベリー伯爵夫人の亡霊に悩まされることになった。伝説によると、伯爵夫人の亡霊は、命日になるたびに庭の処刑場あとにあらわれ、処刑のときの恐怖を再現するという。
ギャーッと叫びながら断頭台のまわりを逃げる夫人を、斧を持った首切り人が追いまわす。処刑人が何度も斧をふりあげては、やっとのことで首を切り落とす、という陰惨な場面が、年に一度くりひろげられるというのだから、ゾッとするような話である。