生後六日目でスコットランド女王、五歳でフランス王太子妃、一六歳でフランス王妃と、メアリ・ステュアートの前半生は、まれにみる輝かしいものだった。優美なフランス宮廷で、メアリはファーストレディとして、人々の注目を一身に集めた。
バラ色の肌、端正な目鼻だち、輝くようなブロンド。このうえない美女であるうえに、六か国語を流暢《りゆうちよう》に話し、詩を作っても楽器を演奏しても、右に出る者のない才女でもある。しかし夫のフランソワ二世は、王位について一年半もたたないうちに原因不明の病気で死んでしまい、わずか一七歳で未亡人になったメアリは、祖国スコットランドに泣く泣く帰っていくことになった。
けれどメアリはここでも政治はそっちのけで、おつきの詩人とスキャンダルめいた噂《うわさ》をまきちらして、周囲をあわてさせた。このままでは先が思いやられるとばかり、周囲の者は急いで二人目の旦那《だんな》さまを探しはじめたのだ。
なんといってもメアリは、スコットランド王位という餌《えさ》を鼻先にぶらさげている。それこそ縁談は、くさるほどあった。スペイン王太子、スウェーデン王、オーストリア大公……。
ところがメアリが選んだのは、イギリス貴族のヘンリー・ダーンリだった。すらりとした長身で、ダンスがうまく、詩を作り楽器も演奏する優美な青年貴族というところが魅力だったのだろう。メアリは彼に夢中になり、出会って半年もたたないうちに、周囲の反対をおしきって結婚式をあげてしまう。
このとき結婚にとくに反対したのが、メアリの又《また》従姉《いとこ》にあたる、隣国イギリスの女王エリザベス一世だった。九つ違いの二人は、ともに前イギリス国王ヘンリー七世の曾孫《ひまご》にあたる。
手紙では互いに「お姉さま」「妹よ」と呼びあい、仲むつまじいところを見せていたが、実際は激しいライバル意識を燃やしていた。それにはわけがあり、一五五八年にエリザベスがイギリス女王に即位したとき、フランス王太子妃だったメアリが、異議をとなえたのだ。
じつはエリザベスは、ヘンリー八世と妻アン・ブーリンとの娘ではあるが、ヘンリーと前妻キャサリンとの結婚解消がローマ法王に認められておらず、カトリックの見地からすれば、アンの結婚は無効で、娘のエリザベスは私生児ということになる。
そうなると、やはりヘンリー七世の曾孫であるメアリのほうが、正統のイギリス王位継承者ということになってしまうのだ。当時日の出の勢いだったメアリは、イギリスも私のものよとばかり、あらゆる公式文書に「フランス・スコットランド・イギリスの統治者」と署名したものだから、エリザベスに憎まれるのも無理はないだろう。
もう一つの不和の種は、メアリの�美貌《びぼう》�であった。イギリスをヨーロッパの列強におしあげたエリザベスは、政治家としては一流だったが、女としての魅力は、メアリに一歩も二歩もひけをとったからである。
エリザベスがメアリとダーンリの結婚に猛反対したのは、やはりヘンリー七世の曾孫でイギリス王位継承要求権を持っているダーンリと結婚することで、ますますメアリの王位継承権が強化されることを恐れたのだった。
しかし強引に結婚したのはいいが、メアリのダーンリへの愛はまもなく冷めてしまい、だんだん彼の欠点ばかりが目につくようになった。気が弱いくせに空威張りをし、国事に口を出したり、人前で妻を口汚くののしったりする。
そんなメアリの心のすきまに付け入るように近づいてきたのが、世紀の恋と騒がれることになる、三〇歳の壮年貴族ボスウェルであった。これまでの夫たちと違って、�雄�の魅力にあふれたボスウェルは、一度ねらった女は必ずものにするので有名だった。
ボスウェルは雌の匂《にお》いにひかれて、荒々しくメアリに襲いかかる。それまで年下の柔弱な夫しか知らなかった二四歳の彼女は、生まれてはじめて本当の�男�を知り、夢中になって我を失ってしまう。そして、常識では考えられないことをやってのけるのだ。
ボスウェルの手下を使って夫ダーンリを殺させ、その直後ボスウェルと結婚してしまうのである。ある深夜、ダーンリが滞在していた別邸がものすごい爆発音とともに吹き飛ばされ、ダーンリは瓦礫《がれき》の山のなかで絞殺死体で発見される。メアリとの結婚からわずか、一年半後のことだった。
いかに暗殺と謀略の世界とはいえ、すさまじいお話である。かなりのことには慣れっこになっている人々も、これには愕然《がくぜん》としたようだ。全世界の非難の声があがり、近隣の君主たちは、一刻もはやく犯人を捕らえるよう、メアリを責めたてた。しかしもはや破滅にむかって雪崩《なだれ》落ちていくメアリに、その声はとどかない。
またたくまにメアリは不満貴族たちの総スカンを食い、彼らのひきいる反乱軍に追いつめられ、王位を剥奪《はくだつ》されて、湖にある孤島の城に閉じこめられる。ボスウェルも、彼女とのあいだを引き裂かれて、国外に追放されてしまう。
二四歳六か月、このとき栄光の日々は終わり、その後のメアリを待つのは、牢獄《ろうごく》から牢獄への日々でしかない。狂った恋の炎が、ついに彼女をここまで押しやってしまったのである。
メアリは、彼女の美しさに魅せられた看守の弟の手引きで、一度は脱走し、兵をかき集めて反乱貴族たちと対決するが、もう二度と幸運は彼女には微笑《ほほえ》まない。たちまち軍は潰《つぶ》され、メアリはわずかな手勢とともに必死に逃げのび、海を越えて命からがらイギリスにわたる。�お姉さま�エリザベス女王が、温かい手をさしのべてくれるのを期待したのである。
しかしエリザベス女王は手をさしのべるどころか、到着そうそう彼女を牢に放り込んでしまった。メアリの存在が、イギリスにおけるカトリック教徒たちを力づけて、反乱のきっかけになるのを恐れたのである。
メアリは一九年のあいだエリザベスによって牢に監禁されたあげく、エリザベス暗殺・メアリ擁立をたくらむカトリック貴族の陰謀にまきこまれて、ついに一五八七年、死刑を宣告されてしまうのだ。
だが、メアリはむしろ、長いあいだつづいた苦しみを、やっと終わらせることが出来るのを、喜んでいるようだった。処刑当日、彼女は熱心に衣装をえらんだ。レースの白のベール、貂《てん》の毛皮をあしらった黒ビロードの上着とマント、そして真紅のペチコート……。
若き日よりベストドレッサーとして有名だった、彼女ならではの気づかいであろう。
一九年の幽閉生活で、顔にはシワが刻まれ、体は肥満していたが、犯しがたい気品がその全身をつつんでいた。
メアリがしっかりした足どりで処刑台への階段をあがり、黒の衣装をするりと肩から落とすと、真紅のコルセットとペチコートがあらわれて、人々を驚かせた。侍女がその手に赤い手袋をわたすと、全身が赤い血の色につつまれる。なんと、凝った演出であることか……。
メアリは祈りをささげながらひざまずいて、断頭台に頭をかがめると、死刑執行人の斧が、しなやかな白い首にふりおろされた。享年四四歳。華やかな前半生にくらべ、苦悩ばかりの後半生であった……。