一五九九年九月一一日、ローマのサン・タンジェロ橋広場で、一人の娘が断頭台の露と消えた。名はベアトリーチェ・チェンチ、二二歳だが、まだ一七、八にしか見えない美少女だった。
罪状は父親殺しという、可憐な容貌《ようぼう》からは想像もできない罪名だった。とはいっても、殺された父親フランチェスコは、暴行、強姦《ごうかん》、誘拐など、あらゆる悪事に染まった鬼のような男だったのだが。
まず義母のルクレツィアが首を切られ、つぎに兄のジャコモが、熱したやっとこで背中や脚を焼かれ、槌《つち》で頭を砕かれ、からだを八つ裂きにされて、処刑台に吊《つ》るされた。一八歳の弟のベルナルドはかろうじて死をまぬがれたが、そのかわり処刑場で、兄や姉たちの残酷な死にざまを、何度も気を失いながら見守らなければならなかった。
チェンチ家は元老院議員や枢機卿《すうきけい》などの名士を出した、ローマ屈指の名門貴族である。しかし当主のフランチェスコは、女をつぎつぎ城内にひっぱりこんでは乱痴気騒ぎをくりひろげる、悪逆無道な放蕩《ほうとう》貴族だった。
次女のベアトリーチェがまれにみる美少女に成長すると、フランチェスコは彼女を誰にも渡すまいと、城の一室に鍵《かぎ》をかけて監禁してしまった。そしてそればかりか、ある晩フランチェスコは、とうとう力ずくで、ベアトリーチェの肉体を奪ってしまったのだ。
父にもてあそばれたベアトリーチェは、深く恨んで、いつの日か父に復讐《ふくしゆう》してやろうと心に固く誓った。そして彼女に同情した義母や兄と組み、彼女に思いをよせていた執事のオリンピオも仲間に入れて、父フランチェスコの殺害を計画したのである。
一五九八年九月八日晩、かねてからの手筈《てはず》どおり、ベアトリーチェが父に阿片《アヘン》を混ぜたワインを飲ませる。執事オリンピオがフランチェスコの寝室にしのびこみ、ぐっすり眠っている彼に襲いかかって、鉄槌《てつつい》で頭をめった打ちにする。
その後はバルコニーの床板をはがして、フランチェスコの死体をつき落とした。壊れかけていたバルコニーから、過失で落ちて死んだのだということにしたが、不審に思った警察は執拗《しつよう》な捜査の結果、バルコニーの穴が最近あけられたこと、それも偶然落ちたにしてはあまりに狭すぎることを突きとめた。フランチェスコの墓が暴かれて検死がおこなわれ、立ち会った医師たちは、遺体の傷が凶器で殴ったものだと証言した。
ついにベアトリーチェ、義母ルクレツィア、兄ジャコモ、執事オリンピオ、そして弟のベルナルドまでが警察に逮捕された。引きだされて拷問にかけられたジャコモは、「降ろして下さい! 何もかもお話しします!」と、意気地ない声で叫び、父に暴力をふるわれるのに耐えられなくなったベアトリーチェが、父を殺してくれるようしつこくオリンピオにせがんでいたようだと告白した。
つぎに義母ルクレツィアが引き出され、後ろ手に縛られて、滑車の下にすえられた。縄が張られると、肉付きのいい身体が弓なりになって痙攣《けいれん》し、ルクレツィアは恐怖の金切り声をあげた。
「お願い、お願い、降ろして下さい。何もかもお話しします!」
彼女も一切の罪をベアトリーチェにおしつけようと、ベアトリーチェが父親から凌辱《りようじよく》されたのを根にもって、オリンピオとともに復讐を企《たくら》みはじめた。自分は彼らの言いなりにならないと殺されてしまうと思って、それに従ったのだと告白した。
しかしこれらの拷問のあとでも、ベアトリーチェはなおも無実を主張しつづけたのだ。
「ルクレツィアもジャコモも、みなすでに白状したのだぞ」
「裁判官さま。わたしは本当のことだけを申しあげました。どうしてもとおっしゃるのなら、わたしをその人たちと対面させて下さいませ」
こうして、ベアトリーチェが兄弟や義母の拷問に立ち会わされるという、ドラマチックな場面が始まったのだ。
初めに連れてこられた兄ジャコモは、彼女のまえで縄で吊るされると、悲痛な声で助けてくれと叫んだが、ベアトリーチェは冷静な声で、「事実無根です。兄は悪魔にとりつかれたんですわ」と言い放つだけだった。
つぎには狂女のように髪をふりみだした義母ルクレツィアが引き出され、再び縄で吊るされて、泣きながらこれまで述べたのはみな本当だと誓ったが、これに対するベアトリーチェの返事も冷淡なものだった。
「あの女は口から出任せを言っているのです。きっとわたしが死ねばいいと思っているのでしょう」
ベアトリーチェの強情さに根をあげた裁判官は、ついにこれまで若すぎるので手をつけないでいた、弟のベルナルドまで拷問させることにした。その場に引き出されたベルナルドは、縄で吊られると、悲痛な声をあげた。
「はなして、はなして、お願い。死んでしまいます!」
ベアトリーチェは、必死に顔をそむけた。耳には弟のいたましい悲鳴が、針のように突き刺さったのだろう。それでもなお、彼女は真っ青な顔で、「嘘《うそ》です。誰も父を殺してなどいません」と言い張るのだった。
夕方、ついにベアトリーチェ自身が拷問にかけられることになった。彼女は後ろ手に縛られ、兄や弟と同じように高々と吊るしあげられた。腕の骨が関節のところで飛びだし、胸を苦しそうにあえがせながら、ベアトリーチェは叫んだ。
「ああ、マリアさま、お助け下さい! 降ろして! 何もかもお話しします!」
縄からおろされ、ぐったりしながらも、ベアトリーチェは毅然《きぜん》とした態度を失わなかった。彼女の証言はもっぱら一切の責任を、執事オリンピオに負わせようとするもので、オリンピオが自分と義母に、父を殺すようすすめたこと、自分も義母も、毎日のように父から鞭《むち》で打たれたり、ひどい目にあわされていたので、ついつい誘いにのってしまったことを白状した。
かくてジャコモ、ルクレツィア、ベアトリーチェ、オリンピオには死刑の判決が下ったが、事件に同情した人々から、陳情がつぎつぎとローマ法王のもとに殺到した。それにも関わらず法王が恩赦を与えなかったのは、チェンチ一族を根絶して、その莫大《ばくだい》な資産を没収しようという魂胆があったからだとも言われている。
一五九九年九月一一日の処刑当日には、ローマのサン・タンジェロ橋前の広場に断頭台が立てられ、イタリア中から見物人が集まってきた。絶世の美女という噂《うわさ》のベアトリーチェを、一目見ようとしたのだろう。
ベアトリーチェは静かに祈りを捧《ささ》げると、足早に断頭台にあがって、斧《おの》の下にか細い首を差し出した。このときわずか二二歳。幸薄い乙女の生涯であった。
今も残るグイド・レーニ作のベアトリーチェの肖像を見ても、虫も殺さぬような愛らしさで、とても親殺しという恐ろしい罪を犯したとは思えない。あの『赤と黒』の作者スタンダールも、この肖像画にほれこんで、とうとう彼女を主人公にした、『チェンチ一族』を書いたのだそうだ。