マルセイユの貴族の娘に生まれたマドレーヌ・ド・マンドルは、一六〇五年、一二歳のとき、ウルスラ会の尼僧院に入れられた。二年後に彼女は久しぶりに里帰りを許され、尼僧院での彼女の監督役であるゴーフリディ神父とともに帰ってきたのだ。
ゴーフリディは三四歳の男ざかり。ハンサムで人好きのする男で、たちまちマルセイユの女性たちの人気者になってしまった。マドレーヌも彼を憎からず思っており、監督役という役目上、彼とは自由に会うことができた。
ところがある日、彼がマドレーヌと一時間も部屋に閉じこもっていたという噂《うわさ》が立った。母親が心配して事情を聞くと、「彼は私の一番大切な�薔薇《ばら》�を奪っていっただけ」という、意味深長な答えが帰ってきた。
翌一六〇八年、マドレーヌは尼僧院での懺悔《ざんげ》のとき、自分がゴーフリディ神父に犯されたことを告白してしまったのだ。このころから彼女は、悪魔の幻覚にとりつかれるようになった。昼も夜もなく痙攣《けいれん》の発作が起きる。さしずめ悪魔がのりうつったのだろうと、老神父ロミヨンが彼女の悪魔|祓《ばら》いを命じられた。
しかし何の効果もなく、マドレーヌの発作は悪化するばかりか、仲間の尼僧たちにも、同じ症状がうつってしまったのだ。尼僧院側はゴーフリディ神父に、いったい彼女に何をしたのかと問い詰めたが、彼は何もやましいことはないと繰り返すだけだった。
だがマドレーヌのほうは、ゴーフリディにもてあそばれたのだと主張しつづけた。彼女によると、彼に処女を奪われたのは一三歳のときで、彼は、「これを飲んだら、妊娠の心配はない」と、特殊な粉薬をくれたという。
虎視眈々《こしたんたん》と獲物をねらう異端審問所が、この機会を見逃すはずがない。さっそくゴーフリディ神父は、審問所の地下牢《ちかろう》に投げこまれてしまった。一六一一年二月二一日の審理に、証人として出廷したマドレーヌは、興奮に顔をひきつらせながら、彼に肉体を奪われたいきさつを事細かに証言したのだ。
ゴーフリディに印《しる》された�悪魔�のしるしが、脚と左乳房にあると言うので、ただちに医者が彼女の体を診察したところ、その部分に魔女探索の針をさしても、痛みも出血もなく、不思議にも針のあともまたたくまに消え去ったという。
かくて哀れなゴーフリディは一年近いあいだ、異端審問の過酷な糾問《きゆうもん》にさらされることになった。審問者が彼を素裸にして徹底的に体中を検査した結果、�悪魔の印�なる三つのあざが発見されたという。さっそく魔女探索の針で差してみたが、痛みも出血もなかったと記録されている。
一六一一年三月末、ついにゴーフリディも凄惨《せいさん》な拷問に屈して、「私は自分の血で、悪魔の契約書にサインしました。そのかわり悪魔から、彼女を思いのままにすることを許されたのです」という自白をしたのである。
かくてゴーフリディは哀れにも、生きたまま火でじりじり炙《あぶ》られながら殺されるという判決が下った。処刑当日の四月三〇日、彼は聖職階位を剥奪《はくだつ》され、聖服を脱がされ、あらためて身をエクスの高等法院に引き渡された。
共犯者を白状させるため、最後の拷問がおこなわれるのだ。まず、吊《つ》り責めと吊り落としからはじまった。ゴーフリディは後ろ手に縛られ、天井に固定された滑車のロープで、天井まで吊りあげられた。
その状態で共犯者の自白をせまられたが、白状しないため、突然ロープをゆるめられ、床に叩《たた》きつけられたのだ。このとき「おお神よ。私には共犯者などいません。どうかお助けを。このままでは死んでしまいます!」という、血を吐くような絶叫をあげている。
吊り落としは三回くりかえされたが、何の自白も得られなかった。そこで今度はゴーフリディの両足首に、それぞれ二〇キロもの重りが結びつけられた。彼の体はまた高々と吊りあげられると、突然床すれすれのところに叩き落とされた。足首に下げた重りのせいで、落下したさいに四肢の関節が脱臼《だつきゆう》してしまった。
一連の拷問で、彼の手首足首は完全に脱臼してぶらぶらになってしまったが、それでも彼は、ただ神の救いを求めてひたすら祈りつづけるだけだった。
ゴーフリディはもう自分の足で立つことも出来ないので、刑場には木のそりで運ばれることになった。人込みのなかをさんざん引きまわされて処刑場に着いたとき、それでも最後の瞬間に、かろうじて絞首に減刑されることになったという。