エレーヌ・ジレは、フランスのブレスで国王の城代をつとめる、ピエール・ジレの娘だった。ところが彼女が二二歳になったある日、娘たちが彼女のことを、かげでコソコソ噂《うわさ》しはじめた。彼女のお腹が、目に見えてふくらんできたのである。
「さては、妊娠したんだわ」
「どこの誰かしら、相手の男は……」
通りを歩けば、袖《そで》をひき、目配せをかわし、ひそひそと噂話をかわす人々の群れに出くわす。エレーヌが通りかかると、ぴたっと話を止めて顔をそむけてしまうのだ。それまで仲良くしていた娘たちからも仲間はずれにされ、エレーヌは毎日泣きくらしていた。
何もかも、あの悪夢のような一晩のせいだった。兄の家庭教師だった男が、エレーヌの部屋に突然押し入ってきたのだ。あまりのことに仰天して、声をあげるひまもなかった。
悪夢のようなひとときが過ぎ、エレーヌは一晩ベッドのなかで泣き明かした。どうしても両親に、自分に起こったことを打ち明けられなかった。厳格な父親が恐ろしかったのだ。
しかし数週間がすぎ、しだいにお腹のふくらみがめだってきた。それでもしばらくは、ひだをたっぷりとった服を着て、ふくれたお腹を隠しつづけたが、まもなく仲間の娘たちに勘づかれてしまった。
ある日、エレーヌの姿が町からぷっつり消えた。数日後、ふたたび帰ってきたときは、顔が少し青ざめ、胴はもとどおり細くなっていた。しかし、これでめでたしめでたしというわけにはいかない。
エレーヌの腹の急激な変化について、ますます声高に噂話がささやかれた。そして噂話の段階で終わらず、とうとう裁判所に訴えられてしまったのだ。当時、妊娠中絶は重い罪である。
刑事代官に問いつめられ、エレーヌは涙ながらに、産婆のもとで堕胎をしてもらったことを白状した。彼女はただちに牢《ろう》に入れられ、厳しい尋問を受けることになった。堕《お》ろした赤ん坊はどこにやったかと問いつめられても、答えに困っておろおろするばかり。
一人の兵隊が、彼女の自宅付近を捜査中、妙なものを見つけた。庭の石垣のくぼみのところから、一羽の鳥がくちばしで、下着らしきものを引っ張りだしているのだ。近づいて調べると、下着には赤ん坊の死体がくるんであったのである。
調査の結果その下着は、エレーヌが逮捕された当時身につけていたのと、同じサイズで同じ布地だと分かった。さらにご丁寧にも、H・Gの頭文字がぬいとりしてある。エレーヌ・ジレのイニシャルである。
一六二五年、ブールで開かれた初審裁判で、エレーヌ・ジレは哀れにも、赤ん坊殺害の罪で死刑を宣告されたのである。五月一二日早朝、エレーヌはディジョンのモリモン刑場に引かれていった。証人は、こう書いている。
「その顔は刑への恐れで口もきけず、恐怖に目の輝きも失《う》せ、この世との別れにうろたえて気もそぞろだった。それでも彼女は、けなげにも死に立ち向かっていった」
エレーヌが処刑台への階段を上がると、ほぼ同時に首切り役人のグランジャンが台にあがった。このとき高熱を出していたグランジャンは、職務を果たすため、無理をしてベッドを抜けだしてきたのだ。
エレーヌの顔にふるえる手で目かくし布をあてながら、グランジャンはかすれた声で、「今日は弱っているから、まんいち一撃で切り落とせなくてもご了承頂きたい」と、群衆に言い訳をした。処刑されるエレーヌの方は、悪い夢を見ているような気持ちだったろう。
グランジャンはよろめきながら、いよいよエレーヌの後ろにまわり、首切り用の刀を宙にふりあげた。観衆はごうごうと沸き、僧侶《そうりよ》たちは声を高めて、「イエスさま! マリアさま!」と唱えつづけた。
エレーヌはガタガタ震えながらも、自ら首切り台に頭をのせた。つぎの瞬間、グランジャンは刀を力まかせに降り下ろしたが、なんと刀は左肩をかすめただけだった。彼は群衆に向かってくどくどと失敗をわびたが、群衆は彼を大声でののしり、四方八方から石を投げつける大騒動になった。
みかねたグランジャンの妻が処刑台に駆けあがって、ふたたびエレーヌを首切り台に引きすえた。気をとりなおしたグランジャンは、またも刀をふりあげ力の限りふり下ろしたが、今度も首をかすめただけだった。
群衆の怒りの嵐《あらし》が沸きおこった。石つぶてが雨あられとふりそそぎ、グランジャンはほうほうの体で処刑台からとびおりた。しかしグランジャンの妻だけが踏みとどまり、今度は手にした縄をエレーヌの首にまきつけようとしたが、エレーヌは必死で抗《あらが》い、とうとう縄をふりほどいてしまった。
すると今度はグランジャンの妻は、エレーヌの体中に足蹴《あしげ》をくれ、その首に縄をまきつけて処刑台の階段をひきずりおろそうとした。処刑者の髪を切るための、一尺もありそうな大|鋏《ばさみ》が石段の下に見つかった。グランジャンの妻はそれでエレーヌの喉《のど》をかき切ろうとしたが果たせず、苛立《いらだ》って体のあちこちに鋏をつきたてた。
怒りを爆発させた群衆は、いっせいに襲いかかって、哀れなエレーヌをグランジャンの妻の手から奪《と》りかえした。エレーヌはそのまま運び去られ、傷口に薬をぬり包帯をまいて優しく介抱された。
外科医の調べでは、エレーヌは刀で二か所切りつけられ、鋏で六回突かれていた。一つは喉をつらぬいて頸動脈《けいどうみやく》に達し、一つは唇から舌を通って上あごに達し、もう一突きは乳房の脇《わき》を抜けて背骨にとどき、あとの二つは頭を深く傷つけていた。
さらにグランジャンの妻がふるった大鋏のきっさきで腎臓《じんぞう》が傷つけられ、さらに受けた足蹴の青あざが、体中に残っていた。
見るも無残な眺めである。怒り狂った群衆は、処刑台のかげで小さくなっていたグランジャン夫妻にむけて突進した。あっというまに二人はめった突きに刺され、石つぶての雨を浴びて、あわれな死体になりはてた。
一六二五年五月一三日、この前代未聞の事件について、村役人たちはディジョンの法院の裁判長が語る物語に、神妙に耳をかたむけた。
「死刑執行人の死で、罪人が死をまぬがれたという、前代未聞の珍事件である」
エレーヌの傷も少しずつ癒《い》えていき、問わず語りにぽつりぽつりと真相を語りだした。誰にも手伝われず、隠れて赤ん坊を生んだが、赤ん坊が生まれる瞬間、首が締まってしまったのだという。
事の真偽はともかく、エレーヌは不安のなかで、奉行所の沙汰《さた》を待っていた。
「これでめでたしとは行かないでしょうね。私はやはり死ぬことになるんでしょうか」
しかし結局、エレーヌは命を救われた。当時の国王ルイ一三世は、事件に心を動かされ、特別にエレーヌに恩赦をたまわったのだ。その後エレーヌは修道院にひきこもり、かなり長生きした。記録によれば、修道院での彼女の死は、ごくおだやかな大往生だったそうだ。