ポーランド映画『尼僧ヨアンナ』を見た方は、修道女たちの異様な悪魔つきの光景を覚えていられるだろう。じつはこれは現実にあった事件で、ヨアンナは一七世紀フランスの修道院長、ジャンヌ・デ・サンジュのことなのだ。
舞台はフランス西部の田舎町ルーダン。一六一七年にここのサン・ピエール教会に赴任してくるや、青年司祭ユルバン・グランディエは、たちまち町中に騒動を巻き起こした。
彼はなかなかの美男だったが、自分がもてるのをいいことに、女とみれば手あたりしだいにモノにする女たらし。そんな彼に町の女という女が夢中になり、つぎつぎ誘惑に落ちてしまったのだ。
初審裁判所検事ローバルドモンの娘など、とうとう彼の子を孕《はら》んでしまったほどだ。カトリックでは聖職者の妻帯は禁じられている。まして現職の司祭が女を孕ませてしまったなどということになると、大スキャンダルになるのは当然だ。
そしてつぎに登場するのが、事件のもう一人の主人公ジャンヌ・デ・サンジュである。彼女はこの町のウルスラ会修道院の院長で、つぶらな瞳《ひとみ》と金髪のかなりの美人だった。当時の修道女は現実から隔離され、厳しい戒律のなかで生活していた。性を抑圧された生活のなかで、彼女らがいつか精神のバランスを崩したとしても不思議ではないだろう。
女ざかりを持てあましたルーダンの修道女たちは、あるときから奇妙な幽霊に悩まされるようになった。人魂が部屋を飛んだり、姿は見えないのに声がしたり、男の姿がボーッと暗闇《くらやみ》にあらわれたりするのだ。
そのうちに修道女の一人が、幽霊の顔が、最近赴任してきていらい、この町の女をつぎつぎ誘惑している、サン・ピエール教会のグランディエ司祭にそっくりだと言いだした。
困ったことに、まっ先にそれに染まったのが、修道院長ジャンヌだった。二二歳の彼女は少々、色情狂の気があり、会ったこともないグランディエに、熱烈な片思いをしてしまったのである。
ある日ジャンヌは、突然ヒステリーの発作を起こして、妙なふるまいを始めた。彼女が「ブランディエ!」と叫んで狂ったように踊りはじめると、奇妙にも他の修道女たちにもつぎつぎ悪魔がのりうつり、「グランディエ!」と叫びながら気を失ってしまったのだ、人々は、グランディエ司祭が悪魔をあやつって、彼女らに悪魔をとりつかせたのだろうと噂《うわさ》しあった。
そこに修道院ぐるみの幽霊騒動を利用して、グランディエ司祭をおとしいれようとする男があらわれた。教会参事会員のミニョンである。かつてグランディエに娘を傷物にされた、初審裁判所検事ローバルドモンの甥《おい》であるミニョンは、叔父からグランディエに復讐《ふくしゆう》してくれるよう頼まれたのである。
ミニョン司祭は、修道女たちにとりついた悪魔を追い払うといって、市当局の人々を招いて、悪魔|祓《ばら》い儀式を披露した。悪魔祓い僧たちは、暴れるジャンヌにつかみかかり、はがいじめにして、なんとか彼女にとりついた悪魔に語らせようとした。そしてついに�悪魔�に、グランディエ司祭と契約をかわしたことを白状させたのだ。
責めたてられて、修道女たちの性的妄想はエスカレートするばかりだった。彼女らは汚らわしい言葉を吐きながら、町中を走りまわって、グランディエの名をわめきちらしたり、町の広場に集まって、乳房を丸だしにして腰をふって踊りまくったりした。
ときに修道女たちは、アゴの骨がへし折れんばかりに、すごい勢いで頭を胸や背にガクガク打ちつけたり、肩の付け根で両腕をひねり曲げたり、腹這《はらば》いになったまま手のひらを足の裏にぴったりくっつけたりの、アクロバットまがいのこともした。
何事が起こったのかと、家から飛びだしてきた人々は、この異様な光景を見て、「悪魔がのりうつったんだ。あの男のせいだ!」と叫んで、グランディエの家におしかけた。
彼はその場で逮捕され、その後、彼の家で悪魔アスモデウスと取り引きした契約書が発見されたという。
「私は悪魔とつぎの契約をする。生きているかぎり悪魔に仕えて、キリストや神々を否定し、できるだけ多くの人を悪の道に引きずり込む。この契約を破ったときは、私の魂と肉体を悪魔に捧《ささ》げることを誓う。ユルバン・グランディエ」
グランディエを陥れようとした一味の、捏造《ねつぞう》であることはほぼ間違いないが、この契約書は現在も、パリの国立図書館に保管されている。
悪魔との契約を白状させるため、グランディエは「針刺し」の儀式にかけられることになった。当時、悪魔と契約したものは、体のどこかに悪魔の印をつけられており、そこを針で刺しても痛みを感じないと信じられていた。それが「針刺し」鑑定法だ。
ところがミニョンがわの悪魔祓い僧らの策略で、修道女たちが「悪魔の印があるはずだ」といった場所には、痛くないように先を丸くした針をさし、他の場所は奥まで針を差しこんだものだから、修道女らのデタラメな証言は、面白いように当たってしまったのだ。
ついにグランディエは、一六三四年八月一八日、死刑を宣告された。しかし火刑に先立って、彼はまだ文字どおり、死より恐ろしい拷問を耐え忍ばねばならなかったのだ。
それこそ吊《つ》り責めや焼きゴテは言うまでもなく、肉体引きのばし器、水責め、スペイン式長靴という拷問で、ついにグランディエの手足は豆腐のように粉砕され、骨髄まで飛びちる悲惨な結果になった。
しかしグランディエが、普通なら到底耐えられそうもない拷問を、呻《うめ》き声一つあげずに耐えしのんだことは、かえって審問者たちに悪印象を与えてしまった。彼らに言わせれば、これほどの苦痛に耐えられること自体、とうてい人間わざではない。悪魔の助けがあったからこそ、それに耐えられたのだというのである。
かくて一六三四年八月一八日、グランディエはルーダン市外の火刑場に、粗末な木ソリに乗せて運ばれてきた。両脚は体を支られないほど拷問で痛めつけられていたからだ。彼はボロくずのように火刑台まで引きずられていき、火刑柱にクサリで縛りつけられた。
火刑台に縛りつけられながら、グランディエは大声で、
「私は悪魔と契約なんかしてない。死んでからも永遠にお前らを呪《のろ》いつづけてやるぞ!」
と叫んだが、顔に聖水をかけられて、言葉をさえぎられてしまった。
呪いが実現されたのか、処刑からまもなく、死刑執行者ラクタティウス神父、悪魔祓い僧トランキーユ神父、やはり悪魔祓い僧バレ神父などの身に、つぎつぎ異変が起こった。
ラクタティウス神父はその月のうちに「許してくれ、グランディエ! 私が悪いんじゃない!」と叫びながら死に、トランキーユ神父も五年後に変死し、悪魔祓いの針刺しをおこなったマヌーリ博士も、精神錯乱をおこして死に、バレ神父は別の悪魔つき事件にかかわって国外に追放されてしまったのだ。