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美しき拷問の本34

时间: 2020-07-24    进入日语论坛
核心提示:マリー・アントワネットの処刑一七九三年一〇月一六日、パリの革命広場には、無数の群衆が世紀の一瞬を見ようと押しよせていた。
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マリー・アントワネットの処刑

一七九三年一〇月一六日、パリの革命広場には、無数の群衆が世紀の一瞬を見ようと押しよせていた。中央の壇上にはギロチンの柱がそそり立ち、三角刃が陽光を浴びてきらめいている。
そのとき群衆のあいだに、ざわめきの声があがった。騎兵隊に先導され、二頭の馬が引く粗末な荷馬車があらわれたのだ。荷馬車には、一人の後ろ手に縛られた中年女が乗っていた。粗末なナイトキャップからは、真っ白な髪がのぞいている。
「売女《ばいた》のお通りだ! 道をあけろ!」
「その高慢な顔もそれまで。もうじきお前もあの世行きだ!」
群衆は憎々しげにののしるが、中年女は何も聞こえないように微動だにしない。この中年女こそ、フランス王妃マリー・アントワネットの、変わり果てた姿である。かつてあんなにも美しかった顔は、一年二か月の幽閉生活で、見るかげもなくやつれていた。
断頭台の前で荷馬車からおろされたアントワネットは、不気味にきらめく三角刃を見あげると、まるで死に急ぐように壇上への階段をのぼっていった。あまり急いだためか、途中でうっかり死刑執行人の足を踏んでしまった。
「あら失礼。わざとではありませんのよ」
これがアントワネットの、最後の言葉となる。
壇上で、アントワネットは深いためいきをついた。二三年前、わずか一四歳でオーストリアから嫁いだとき、この広場では十数万の群衆が熱狂的に歓迎してくれた。その群衆が、いまは彼女の死を待ち望んでいるのだ。
しかし彼女に、過ぎた日々を思い出している時間はない。執行人はアントワネットの帽子をはぎとり、その髪を後ろで束ねて、ギロチンの刃の下に首を固定した。
つぎの瞬間、三角刃が勢いよく落ちてきて、首が前の籠のなかにころがり落ちる。助手が血のしたたる首を持ちあげて、集まった群衆に披露した。
こうして、史上最大のショーは終わった。かたずを呑《の》んで見ていた群衆は、ホッとして「共和国万歳!」と叫ぶが、興奮も長くはつづかない。静けさがもどり、人々は広場から潮が引くように去っていく。すべてが終わったいま、死にのぞむときの王妃の気高い様子が、彼らの胸に忘れがたい感動を残したのである。
しかし本当のところ、マリー・アントワネットは最初から、こんなふうに威厳に満ちた王妃だったわけではない。フランス革命の嵐《あらし》が起こる前は、贅沢《ぜいたく》好きで遊び好きで、湯水のように金を使う、軽薄な王妃に過ぎなかったのだ。
ヴェルサイユ宮殿から馬車を駆って、毎夜のように取り巻き連中とパリの賭博場《とばくじよう》に出かけ、何億という金をすっては、明け方にようやくご帰還になる。そんなことが日常茶飯事だった。
けれど彼女がこんな無軌道な生活を送っていたのには、理由があった。じつは夫のルイ一六世は、性的不能者だったのだ。毎夜のようにベッドで必死に試みては、肝心のところになると激痛に襲われてだめになってしまう。
こんなことが、七年後に夫が手術を受けるまで、なんと毎夜のようにくりかえされたのである。これではアントワネットが、欲求不満になるのも無理はない。
やがて時代が革命にむかって高まってくると、遊び好きな王妃は民衆の反感を一身に集め、「赤字王妃」とか「オーストリア女」などと罵《ののし》られる。
パリで暴動が起こり、貧しい女たちが「パンをよこせ!」とわめきながらデモ行進をはじめたとき、アントワネットは不思議そうに侍女に聞いたという。
「あの人たちは、何を騒いでいるのですか」
「パンがなくて、飢え死にしそうだというのでございます」
「パンがないですって? それならお菓子を食べればいいではありませんか」
つまりアントワネットは、それほど民衆の生活について無知だったのである。
一七八九年六月のバスティーユ占領で、ついに革命の火ぶたは切られた。一〇月五日、どしゃぶりの雨のなかを、六〇〇〇人の庶民の女が、手に手に熊手《くまで》や鉄ぐしを持ち、パリからヴェルサイユ宮殿をめざして行進する。同時に三万の国民衛兵隊も、ヴェルサイユにむけて進軍をはじめる。
捕らわれの身となった国王と王妃の一行は、もう二度と見ることのないヴェルサイユを去って、パリにむかった。そして九三年一月、夫ルイ一六世は、国民公会で裁判にかけられて、わずか一票の差で死刑を宣告される。
ルイ一六世の処刑後は、幼い王太子も無理やりその手から奪《と》りあげられ、アントワネットはそこを生きて出た者はいないといわれる、コンシェルジュリの牢獄《ろうごく》に移されたのである。
一〇月一三日、こんどはアントワネット自身が、国民公会の裁判にかけられる番だった。
三七歳。みごとだった金髪は一夜にして白髪と変わり、やつれはてたアントワネットは、それでもおおしく最後の力をふりしぼって、裁きの場にのぞんでいく。
二〇時間にもおよぶ尋問ののち、死刑の宣告を受けたアントワネットは、義妹にあてて長い感動的な遺書を書いた。
「すべての敵に、わたしに加えた危害を許します。神よ、あなたがたから永久に別れなければならないことで、胸が引き裂かれそうです……」
一〇月一六日午前三時、かくてアントワネットは、新しい肌着に白い囚人服、白いナイトキャップと、全身を白衣に着替えて、出迎えの荷馬車に乗り、三万の兵が整列するなかを革命広場にむかったのである。
かつての遊び好きな王妃が、牢におしこめられ、裁判所にひきずり出され、ギロチンの露と消えるまでの短い期間に、威厳にみちた気高い王妃に一変してしまったのである。
まさに彼女は、不幸によってきたえられ、その悲劇にふさわしい大きさにまで成長したのだ……。
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