一九一七年一〇月一五日の夜明け、パリ郊外ヴァンセンヌの土手では、フランス軍の騎兵・砲兵・歩兵隊が、方陣をつくって一本の木をとりかこんでいた。かたすみには棺桶《かんおけ》をのせた有蓋《ゆうがい》馬車がとまり、集まってきた野次馬たちが、不安そうにそれを遠巻きにしていた。
そのとき朝霧のなかから、一台の囚人護送車があらわれた。護送車から降りたったのは、紺のマントをはおり、ベールのついた帽子をかぶり、ブーツをはいた一人の女である。彼女は尼僧につきそわれて、兵士らの方陣にゆっくり近づいていった。
指揮官の号令で兵士らが捧《ささ》げつつをし、太鼓やラッパがひびくなかを、女は落ちついた足どりで、例の木に向かって進んでいく。方陣のなかの一人の男がまえに進みでて、重々しい声でこう読みあげた。
「第三軍法会議の裁きで、マルガレーテ・ゲルトルード・ツェレを、スパイ容疑で死刑に処す」
一二人の銃殺隊が、すばやく木の前に整列する。憲兵の一人が進みでて、女を杭《くい》にしばりつけ、衛生兵がかけよって女に目隠しをしようとした。しかしマルガレーテ・ツェレこと、通称�マタ・ハリ�は、しずかに彼らをおしとどめた。
「さわらないでちょうだい。目隠しも縄も、必要ないわ」
マタ・ハリはかすかな微笑をもらし、前に開ける暁の空に目をうつした。それまでの人生の縮図が、走馬灯のように頭のなかを駆け抜ける。別れた夫や子供、世界を魅了した舞台での華やかな日々、彼女を愛し裏切っていった男たち……。
ふと、マタ・ハリの目からはらはらと涙がこぼれ落ちたとき、合図のサーベルが振り下ろされ、一二発の銃がいっせいに彼女にむかって火を吹いたのである。
第一次世界大戦のさなか、エッフェル塔にあるフランス軍の無線傍受機は、ヨーロッパ各地で交信するドイツ側の暗号通信文をひそかに傍受しては、陸軍の暗号解読局に送りこんでいた。
一九一六年夏、マドリッド在のフォン・クローンというドイツ海軍武官が、アムステルダムのドイツ公使館にあてて打った電文が入ってきた。
「H21のため一五〇〇〇マルクをすぐ送れ」
その二週間後、またフォン・クローンからの電文で、今度はベルリン海軍省あてに、
「H21をフランスに潜入させる準備はOK。資金一二〇〇〇マルクを送れ」
このH21こそ、ドイツ海軍が有名な女スパイ、マタ・ハリにつけた暗号名だと言われるのだ。
マタ・ハリは一八七六年にオランダに生まれ、二七歳のときジャワ占領軍司令官だった夫と離婚して、パリでダンサーになった。彼女はインドネシア生まれを自称し、ジャワの原住民の踊りをエロチックにアレンジした踊りで、たちまち社交界で評判になった。ヨーロッパ中の有名政治家や実業家が、きそって彼女と関係を持ったという。
ほのかに蝋燭《ろうそく》がともされた舞台に、オーケストラのかなでる東洋風の音楽にのって、マタ・ハリは宝石をちりばめたブラジャーに、やはり宝石をちりばめた腰布というスタイルであらわれた。
そんなあられもない姿で、エロチックなダンスを披露する彼女に、観客はうっとりため息をつくのだった。身につけたベールを一枚、一枚脱いでいくという、ストリップまがいのダンスもあって、センセーションをまきおこした。
フランス当局がなぜH21をマタ・ハリと断定したかというと、フォン・クローンの電文が打たれた直後、マドリッドからパリへの入国者を調べていると、彼女が浮かんできたからである。
それまでも彼女はドイツのスパイとして疑われていたが、決め手がないため、そのまま泳がされていたのだ。新米スパイに過ぎない彼女が、わずか一年のあいだにたいした活動が出来たとは思えないが、たえまない情事の相手がほとんど軍人だったことが、彼女を決定的に不利な立場にした。
結局、法廷は、彼女が具体的にどんな情報をドイツに流したかを証明できなかった。それなのにマタ・ハリは、彼女が盗み出した軍事機密は、連合軍兵士五万人の死に相当とするとして、銃殺刑を宣告されたのである。
ところが、マタ・ハリは本当はスパイなどではなかったという説もある。彼女がただのダンサー兼高級|娼婦《しようふ》にすぎなかったのに、いろんな憶測や噂《うわさ》で�世紀の女スパイ�という伝説をでっちあげられたのだというのだ。
第一、彼女がいつ、どうしてスパイになったのかもはっきりしない。金が目的なら、すでに莫大《ばくだい》な収入があり、男たちからの高価なプレゼントに埋まっていた彼女である。あえて危険を冒す必要など、なかったはずではないか。
彼女が戦時中もヨーロッパ内を行き来し、フランスの要人ともドイツの要人とも親しかったことがあだになったのかも知れないが、彼女にしてみれば、金払いのいい男なら、どこの国の人間でもお得意さんだったのだろう。
実のところ、この事件には、あまりにも奇想天外なエピソードが多すぎる。
ホテルで逮捕しようとしたとき、彼女が肌もあらわにソファのうえでにっこりしたので、警部はボーッとなって任務をわすれそうになったとか。法廷での尋問者も彼女に艶然《えんぜん》と微笑《ほほえ》みかけられて、なにを質問していたか分からなくなってしまったとか。
あるいは彼女がわの証人(プロイセン皇太子やオランダ首相などもいる)は、みな彼女の元愛人だったとか。処刑のとき、銃殺隊のまえで彼女が上着をパッと脱ぎ捨てると、その下は一糸まとわぬ体で、銃殺隊の兵士らはボーッとして彼女を撃ちそこなったとか……。
これらの話はすべて、マタ・ハリを大物スパイに仕立てあげるための、デマだったとも考えられるのだ。
逮捕からわずか八か月後の処刑というのも、異例の早さである。当時、戦争は三年めに突入し、各所で疲弊による兵士の反乱が起きており、軍としてはこの状況から国民の目をそらすためのスケープゴートが必要だった、その恰好《かつこう》の生けにえにされたのが、哀れにもマタ・ハリだったのだという説もあるのだ。
結局のところ、マタ・ハリ大物スパイ伝説は、戦時下で異常心理になっていたフランス大衆が、よってたかって作り上げた単なる�伝説�ではなかったのだろうか?