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美しき拷問の本43

时间: 2020-07-24    进入日语论坛
核心提示:ギロチンの首には生命があるか?ところで、ギロチンで首を切られた瞬間、その人間は本当に絶命するのだろうか。それとも、切られ
(单词翻译:双击或拖选)
ギロチンの首には生命があるか?

ところで、ギロチンで首を切られた瞬間、その人間は本当に絶命するのだろうか。それとも、切られた直後は、まだ生命があるのだろうか? 誰でも、一度ぐらい、こんな疑問を感じたことがあるだろう。
一八七九年、二人の医者が、殺人犯の切り落とされた首に、まだ生命が残っているかどうかを調査した。しかしこのときは残念ながら、首は切られて五分もたってから彼のもとに届いたため、思わしい結果は得られなかった。
翌年に、今度はリニエール博士が、ショッキングな実験をおこなった。切られて三時間もたった殺人犯の首に、生きた犬の血をポンプで送りこんだのだ。するとなんと、反応があった。顔に赤みがさし、眉《まゆ》と唇が一瞬、ピクリと動いたのである!
しかしあとで冷静に考えて、これが一種の反射神経に過ぎないことに思いいたって、がっかりした。ふつう脳は、三時間も血液がまわらなければ、すでに死んで機能する力などないはずである。しかしそれはともかく、この実験以来、同博士は熱心な死刑廃止論者になったという。
さらに一九〇五年には、もっとショッキングな実験がおこなわれた。ボーリオという医学博士が、ある死刑囚の処刑直後に、切られた首を調べたのだ。
博士は報告書に書いている。
「死体の眉と唇は、五、六秒間、不規則な引きつりを見せた。それからやがて動かなくなり、顔はたるみ、瞼《まぶた》はかすかに開いて、白眼しか見えなくなった。
私が大声で名前を呼ぶと、瞼が少しずつ開き、ちょうど眠っている人間が目覚めたときのような、緩慢な動きを見せた。
やがてその目は私をじっと見つめた。瞳孔《どうこう》は狭くなったが、死人のような無表情な目つきではない。たしかに生きている人間の目だった……」
同医師の報告によると、またしだいに瞼はふさがったが、再び大声で名前を呼ぶと、またも瞼が開き、じっと医師を見つめてから目が閉じられた。しかし三度目には、呼んでももうピクとも動かなくなり、眼球はすでにガラス状になっていたという。首が切り落とされて、約三〇秒後のことである。
切り落とされた首に、しばらくは意識があるかどうかという点では、いまだに医学界の意見は一致していない。切り落とされて酸素がかよわなくなった首が、死後二分間ほどはかすかに動くことも、ままある。しかしその後は、死んでしまうことは確かなのだ。
だが、問題なのは、その二分間である。そのあいだ、切られた脳が、自分のこうむった惨状を記憶している可能性はあるのだ。
それにしても、人間が最後の瞬間まで、いま自分が死につつあるのだという認識をはっきり持ちながら死んでいかねばならないとは……? 残酷な話ではないか。
「どうせ死なねばならないなら、死刑囚を出来るだけ苦しませずに死なせてやりたい」という、ギヨタン博士のありがたい意図にも関わらず、落とし斧の斬首刑《ざんしゆけい》では、それはまだ果たされていないようだ。
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