フランスでは、ギロチンによる処刑は長いあいだ一般に公開された。そのたびに刑場には、フランス各地からおおぜいの野次馬が集まってきた。彼らにとって処刑は、最高の気晴らしの一つだったのだ。
一八八九年のパリ万国博のとき、囚人一人がギロチンにかけられたときは、これが当時新築されたエッフェル塔よりも話題になったというから困りものだ。人間の血と残酷さへの熱狂は、どうも根強いものがあるようだ。
フランスにおける、最後の公開ギロチン処刑は、一九三九年のワイトマンなる殺人犯の処刑である。いつものように大変なお祭り騒ぎになったため、政府はもう二度と同じことを繰り返すまいと決意したという。
処刑の前夜、刑場となるヴェルサイユ監獄前の広場には、ものすごい大群衆が集まってきた。ギロチン刑を一目見ようと、樹木や街灯によじ登る者、建物の窓という窓に押しよせる者……。
そこここにピクニック気分で店開きして、酒をくみかわし、音楽にあわせて歌ったり踊ったり、大騒ぎして前夜祭をもよおすのだ。時おりお調子者がくだらぬ冗談を飛ばして、皆がドッと爆笑するのが、監房内の死刑囚の耳にもとどいたという。
この一件に政府も閉口し、さすがにそれ以後は、ギロチン処刑の公開は禁止された。その後処刑はそれぞれの監獄の中庭で行なわれ、処刑に参列できるのは、わずか九人の役人だけということになった。
かくて残酷さのシンボル、ギロチン台は、監獄の塀の向こうに姿を消し、二度と人々の血を沸かせ肉を躍らせることはなくなったのである……。