およそ人間という人間の職業のなかで、もっとも理不尽なものが死刑執行吏ではないだろうか。もちろん表面的には、執行吏は当局が下した判決を代行して、公僕として義務を果しているだけだと言うことが出来よう。たぶん執行吏自身も、何かというと、自分にそう言い聞かせているのではないだろうか。
しかし綺麗事《きれいごと》はともかく、やはりこのゾッとする職業を、平気の平左で勤めおえた者はいなかったらしい。じつは、死刑執行吏のほとんどが自殺したり、夜な夜な亡霊に苦しめられてノイローゼになっていたという記録があるのだ。
なかには世をはかなんで、世間をはなれて一人暮らしをしたり、名前を変えて遠い所に行って隠れ住んだ者も少なくない。いくら綺麗事でごまかそうとしても、人を殺すというごまかしようのない事実が、まとわりついているからだろう。
自殺はしないまでも、酒びたりになり、ぐでんぐでんに酔っぱらってから職務を果たすようなこともあるのは、やはり酒でごまかすしか方法がないからだろう。
戦前のポーランドの死刑執行吏、マキエフスキも同じだった。ある日彼はあまり事前に酒を飲みすぎたので、ふらふらして目がかすみ、手もとが乱れて仕事にならなかった。おかげで彼がしらふになるまで、処刑を八時間も遅らせねばならなかったという。その後、ますます荒れていった彼は、ある日とうとう首をつって死んでしまった。
人々が信心深かった中世では、多くの死刑執行吏がローマに巡礼して、法王の前で懺悔《ざんげ》している。義務を果しているだけだと自分に言い聞かせても、やはり自分が恐ろしい罪を犯していると感じないではいられなかったのだろう。