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美しき拷問の本54

时间: 2020-07-24    进入日语论坛
核心提示:車輪上の粉砕刑異端者に科された拷問で、火あぶりのつぎに一般的だったのが、「車輪上の粉砕刑」である。一五三四年にフランス国
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車輪上の粉砕刑

異端者に科された拷問で、火あぶりのつぎに一般的だったのが、「車輪上の粉砕刑」である。一五三四年にフランス国王フランソワ一世の勅令ではじまった拷問で、刑具は、X形十字と大型の車輪という二つからなっていた。
まず囚人を十字架上に横たえ、手足をそれぞれ四本のはりに縛りつける。それぞれのはりは、手足の下にあたる部分がグッと窪《くぼ》んでいる。これは執行人が、手足を砕きやすくするためである。
つぎに執行人は頑丈な鉄棒で、その囚人の手足めがけて、力いっぱいに打ちおろす。こうして手足は、あっというまに次々と打ち砕かれていくのだ。八回の打撃をくりかえし、完全に手足を粉砕してしまうと、執行人は最後に囚人の胸をめがけて力まかせに一撃を加えて、刑を完了した。ちなみにフランス語のcoup de grace(とどめの一撃)は、ここから来たのだとか。
とどめの一撃を加えたあと、執行人は囚人の形をとどめなくなった血まみれの体を十字架からはずして、車輪の上にのせる。今度はその車輪がゆっくり回転して、見物人たちに哀れな肉のかたまりとなった囚人の体を、右から左から見せつけるというわけである。
一八世紀フランスの新教徒ボエトンは、異端審問の裁判のあと、�車輪上の刑死�の宣告を受けた。処刑当日、広場では約六フィートの高さの高台の上に、例によってX形の十字架が置かれた。
処刑台の片すみには、表面が鋸《のこ》の歯のようにギザギザになった、大きな車輪が置かれている。粉砕刑でめちゃめちゃにされたあと、囚人はこの�苦悶《くもん》のベッド�に横たえられ、見物人に断末魔の痙攣《けいれん》をご披露して、とっぷり楽しませるというわけである。
刑場に車で運ばれてきたボエトンは、壇上にのぼるのに、人に支えてもらわねばならなかった。すでにブーツ刑の拷問で両脚を目茶目茶にされていたからだ。
壇上で、ボエトンは執行人の助手から衣服をはがれ、さらに脚に巻いていた包帯まではぎとられた。そして執行人助手は、彼を十字架上に横たえて、手足をはりに縛りつけてから、壇上を引き下がった。
つぎにいよいよ、長さ三フィート幅一インチ半ほどの鉄棒を手にした、執行人があらわれる。そのとき十字架上のボエトンは静かに賛美歌を歌いだしたが、とっさにアッと叫びをあげて歌をやめた。
執行人の鉄棒が、その左足を一撃したのである。しかしボエトンはやがて歌を再開し、それからは執行人が右の腿《もも》、左の腕と、つぎつぎと打ちくだいていっても歌を止めようとしなかった。
左右の手足を完全に砕いてしまうと、執行人はボエトンのまだ息のある血まみれの肉塊を十字架からはずして、車輪の上においた。ほとんど人間のかたちをとどめてないシロモノだったが、それでもなおボエトンはメゲずに賛美歌を歌いつづけたというから驚く。
観衆のあいだに、感動のざわめきが起こった。国王側の司祭が執行人に、これでは新教徒たちを怖がらせるどころか、反対に勇気づけることになるじゃないかと文句を言った。
そこで執行人は、さっさと囚人をかたづけようと、ボエトンに近づいた。いよいよ最期が迫ったことを知ったボエトンは、声をふりしぼって群衆に向かって叫んだ。
「諸君は証人となって、私がキリストを最後まで信じて死んでいったことを証明してくれたまえ!」
その言葉が終わらないうちに、鉄棒の一撃が、彼の胸に力まかせにふりおろされた。囚人の唇が数回、何か言いたげに動いたのち、がっくりと頭が落ちて、ついにこと切れたという。
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