残酷な拷問のなかでも、もっとも恐ろしいものの一つが、四つ裂きの刑だろう。日本では、これによく似た車裂きの刑というのがある。罪人の両足を二台の車に縛りつけ、それぞれ反対方向に引いていくのだ。
四つ裂きの刑のほうは、罪人の手足をそれぞれ四頭の馬の脚に結びつけ、馬を鞭うって、体がそれこそバラバラになるまで四方に引かせるというものだ。処刑後、引きちぎられた四肢を、市の門にこれみよがしに陳列することもあった。
フランスで、有名な四つ裂きの刑の記録は二件ある。両方とも、国王の暗殺犯人が処せられたもので、一人目がフランソワ・ラヴァイヤクで、一七世紀に国王アンリ四世を短刀で暗殺した男である。
一六一〇年五月二七日午後、ラ・ボウヴェット室で裁判が開廷された。議長や数人の弁護士が臨席する法廷に、いよいよラヴァイヤクが引き出されてくる。彼はその場にひざまずかされて、国王暗殺のかどで死刑を言いわたされ、その前に共犯者の名を吐かせるため、拷問にかけられることになった。
ラヴァイヤクがかけられたのは、足かせ刑の拷問である。彼は椅子《いす》にすわらされ、膝《ひざ》からかかとまで、二枚の板ではさまれ、その両端を鉄の枠できっちりと止められた。いよいよ最初のクサビが打ちこまれ、ラヴァイヤクの顔が苦痛にゆがみ、絶叫があがる。
「神さま、お慈悲を! 私の罪をお許し下さい!」
二つ目のクサビが打ちこまれると、さらにすさまじい絶叫があがる。
「おお神さま! これまで申しあげたこと以外、何も知りません。誓って、誰かに自分の計画を、口外したことはありません!」
さらに三つ目のクサビが打ちこまれると、彼は全身から汗を吹き出し、その場に気絶してしまった。執行人が無理やりその口をこじあけ、ワインを流しこもうとしたが、飲み下すことさえ出来ない。
これだけでも相当にすごいが、ここまではあくまで、共犯者を自白させるための�拷問�に過ぎない。これからが、いよいよ本物の�刑罰�なのだ。
三時にラヴァイヤクが監獄から引きだされると、大勢の監獄仲間がまわりに群がり、口々に「裏切者!」、「悪党!」などとののしった。裁判所の所員たちが止めなければ、彼は殴り殺されていただろう。
彼はようやく運搬車に押しこまれたが、車が街中を行くあいだ、興奮した群衆がののしりを浴びせつづけた。いよいよ断頭台にあがり、短刀を手に国王を狙《ねら》った右手に、赤々と燃える炎がおしつけられると、ラヴァイヤクは顔を引きつらせて絶叫した。つぎに死刑執行人が、真っ赤に焼けたやっとこで彼の胸の肉を引きむしっていく。
それを群衆は興奮して、「もっとやれ、もっとやれ!」と、やいやいはやし立てるのだ。さらに溶けた鉛と煮えたぎる油が、傷口にかけられ、ラヴァイヤクはひっきりなしに悲鳴をあげつづけた。死刑囚のために祈祷《きとう》をあげる段になったが、群衆は祈祷反対を叫んで騒ぎだした。こんな大悪党に祈りなど無用だというのだ。結局、祈祷は中止せざるを得なかった。
いよいよラヴァイヤクは、四本の手足をそれぞれ、四頭の馬の脚に結びつけられた。力まかせに鞭《むち》があてられると、馬は跳びあがってそれぞれの方向に走りだした。ラヴァイヤクの体がものすごい力で四方に引き裂かれるが、関節がのびきっただけで、手足はまだ体から離れない。
いらだった数人の群衆が、馬などにまかせておけないと、力まかせに縄を引っぱりはじめた。さらに見物人のなかにいた貴族の一人が、馬から飛びおりて、疲れた馬のかわりに自分の馬を提供すると言いだした。
こうしてまる一時間のあいだ馬に引かれつづけたが、いまだにラヴァイヤクの手足は体からはなれない。苛立《いらだ》った群衆がついに彼に突進して、手にした棒や短刀で、彼の半死半生になった体を力まかせになぐりつけ、しまいにはずたずたに切りきざんだりした。
あげくは執行人の手から無理やり哀れな残骸《ざんがい》をもぎとると、大騒ぎしながら大通りをひきずりまわし、しまいに街のはずれでその残骸に火をつけて焼き捨ててしまったという。