一八八九年三月二八日、アメリカのニューヨーク州オーバーン刑務所で、ケムラーという男が、殺人罪で死刑の判決を受けた。当時ニューヨーク州は、世界初の電気椅子の死刑を取り入れたばかりだった。死刑囚が死ぬまで、交流電気をからだに通すというやり方である。
しかし、交流電気の発明者であるウェスティングハウスが、電気椅子第一号による死刑のために、発電機を提供することを断ったので、かのエジソンが、自分の発明した直流電気による発電機を、ニューヨークにとりよせて電気椅子に接続することになった。
当時エジソンは、自分が発明した直流電気は安全だが、ウェスティングハウスが発明した交流電気は、家庭用に使うには危険だと主張していたのだ。
処刑は、一八九〇年八月六日におこなわれた。被告のケムラーは、二〇〇〇ボルトの電流をからだに通されたが、死刑が終わって執行人が彼を椅子からおろそうとすると、かすかに息をふきかえし、身悶《みもだ》えしはじめた。驚いた看守は大声で、「早く、早く、電流を!」と叫んだ。
このエピソードが伝わると、�野蛮な�電気椅子への抗議の声が沸きおこり、エジソンが主張する直流電気も、実はそれほど安全ではないのではという疑いが人々のあいだに広まった。それに直流は、ウェスティングハウスの交流より経費がかかるのだ。
電気椅子の構造は、つぎのようなものである。椅子は大きな木製で、肘《ひじ》かけと背もたれがついている。それに座らされた死刑囚は、手足と胴体を八本の革ベルトで、座席に縛りつけられる。死刑囚のズボンの下部は切りさかれていて、後頭部の一か所がカミソリでそってある。
つぎに執行人が、死刑囚の顔にマスクをかぶせる。これはむしろ死刑囚の恐怖を高めることになってしまうが、実はこのマスクは死刑囚自身のためではなく、電撃の作用で死刑囚の顔に生じる恐ろしいゆがみが、執行人や立会い人から見えないようにするためであった。
いよいよ死刑囚のむきだしの脚に、銅板状の電極が接着され、もう一つの電極は、頭のカミソリでそった個所に接着される。二つの電極は電源とつながっており、執行人が配電板に近づき、所長の合図でハンドルをまわすと電流が通じるようになっている。
一回目の電圧は二〇〇〇ボルトで、最初の一撃で死刑囚のからだは、ものすごい力でベルトに押しつけられたという。口から喉《のど》にかけて赤紫色になり、頭頂から煙があがって、焦げくさい臭いがひろがった。
約一五秒間、突入電流を通されたあと、電圧は五〇〇ボルトに下げられるが、つぎにまた、二〇〇〇ボルトにあげられる。一般家庭の電圧は二二〇ボルトだというから、そのすごさが分かるだろう。
約三分ですべてが終わり、執行人が電源を切ると、立会いの医師が死を確認し、ベルトからはずした死体は、ただちに隣室で解剖に処せられるというわけだ。
電気椅子の賛成者は、電流の速度は、脳が感情に反応する速度の七〇倍にもなるから、この方法なら絶対苦しむことはないと主張する。しかし、電気椅子といえども、道具に過ぎない。ときには故障することだってあるのだ。
一八九三年には、ある罪人が、椅子が故障したため、一時間以上も死刑執行を待たされたことがある。恐ろしい待ち時間のあいだ、死刑囚は何度も気を失ったため、処刑にそなえて気つけ薬を飲まされたという。
また、電流に対するからだの反応が、人によって違うという難点もある。ときにはすごい電流にも耐えられる人がいるのだ。たとえばオハイオ州の電気椅子で処刑されたホワイトという男は、最初の突入電流のあとも、心臓が動いていた。
そこに電圧を三倍にしたら、彼のからだからパッと炎があがり、肉のジュッと焼ける臭いがした。つまり、ホワイトは電撃で死んだのではなく、焼き殺されたのだ。
一九二九年に、オーバーン刑務所で処刑されたファーマーという女性の場合は、もっと悲惨である。彼女はみるからに大女で、抵抗力が強そうに見えた。死刑執行人がファーマー嬢のからだに一分間の突入電流をかけると、突然マスクのむこうから彼女の鋭い悲鳴が聞こえた。
驚いた執行人が、大急ぎで二〇〇〇ボルトの電流を通してみたが、それでも彼女は生きていた。さらに四回、執行人がこの作業をくりかえして、約一時間後にようやくのことで息を引きとったという。これでは中世の拷問とちっとも違わない、恐ろしさではないか……。