古代ローマのティベリウス帝は、カプレアエに引退すると、性的乱行をほしいままにする大規模な売春宿を建造した。ここに、全国各地から選り抜きの少年少女たちが狩り集められた。そしてティベリウス帝のまえで、三人ずつ組になってさまざまな淫乱行為を演じては、帝の衰えた性欲をかきたてるというわけである。
邸内のいたるところに設けられた寝室は、淫乱そのものの絵画や彫刻で飾られ、本棚には古今東西の性愛の手引き書が並べられた。これによって、この部屋ではセックスのときどういう体位をとったらいいか、どんな行為を行なったらいいのか、手本に不自由しないようにしたのである。
また、森や林のいたるところに魔窟をもうけ、洞窟や岩屋のなかで、パン(森の神)やニンフ(水の精)に扮した少年少女に売春を行なわせた。とりわけ少年好みだったティベリウス帝は、フェラチオをさせるために少年たちの歯をのこらず抜いてしまった。
そして少年たちに、泳いでいるティベリウスを追いかけ、その股ぐらに頭を突っ込んで舌で愛撫させたり、あるいはまだ乳離れもせぬ赤ん坊に、彼の陰茎に乳に吸いつくように吸いつかせたりして楽しんだ。
ついムラムラッとくると、神聖な式の最中でもかまわず少年僧を押し倒し、思いをとげるのだった。そんなとき抵抗でもしようものなら、大変な目にあわされる。あるとき、儀式の途中で、とつぜんティベリウス帝から床に押し倒されてもてあそばれた少年僧は、彼に抗議したため足を叩き折られてしまった。
ティベリウス帝の治世では、人はごくつまらない罪で死刑を宣告された。たとえばアウグストゥスの立像を傷つけたり、アウグストゥスの像を彫った貨幣を売春宿で使ったり、あるいはアウグストゥスの生前の言動を批判したり……。
ティベリウス帝が考えだした拷問に、こんなものがある。犠牲者にワインをたらふく飲ませてから、ころあいを見て、やにわに男根を紐で締めくくるのである。紐が肉に食い込む痛みと、尿がつまって出ない痛みと、二重の責め苦を与えられた犠牲者は、あまりの苦しみにあたりをのたうちまわるというわけである。
元旦だろうと祭日だろうと、一日として処刑の行なわれない日はなかった。古来の習慣では、処女を処刑することは許されていなかったので、処刑人がまず彼女らを凌辱してから、そのあとで処刑した。
カプレアではいまも、ティベリウス帝が処刑を行なわせた場所が公開されている。長きにわたる残酷な拷問のあと、彼の命令で、犠牲者がそこから真っさかさまに海に突き落とされる。すると下で待ち受ける兵士たちが、完全に息の根をとめるために、竿や櫂で殴りつけるのである。