古代ギリシアには、いわゆる人身御供の習慣があった。アテネでは、男女二人の乞食を、一年間、国費で養っておき、穀物の穫り入れ前のお祭り(贖罪の意味がある)で、イチジクの枝で二人を鞭打ちながら、にぎやかな音楽にあわせて、町中を引き回す。
二人に課せられるのは、市民たちのあらゆる罪や汚れを、その身に引き受ける運命だ。そのあとは町外れに連れていかれ、崖の上から突き落とされる運命が待っていた。生け贄のからだが無になってしまうことで、はじめて市民の罪も、消滅して無に帰するというのである。
無力な人間を犠牲にして、自分たちだけは救われようというのだから、まったく無茶苦茶な話である。しかし一見平和な現代でも、じつはこのような弱肉強食の話は、けっこう多い。
ギリシアの植民地マッサリア(現在のマルセイユ)でも、町に疫病がはやるたびに、人身御供を神に捧げる習慣があった。やはり生け贄になるのは、国費で養われた乞食だ。その日、生け贄は花の冠をつけ祭りの衣装を着せられて、町中をひきまわされる。
人々は男に悪口雑言を投げかけては、自分にふりかかっていると思われる害悪を、すべてその男にふりむける。そしてそのあとは、男を情け容赦もなく、崖のうえから突き落とすのだ。