西暦四世紀のあるとき、ローマ領だったギリシアのテッサロニーカの住民が、ローマ駐屯軍の武官と、部下数人を惨殺した。
原因は、当時の庶民のヒーローだった、闘技場の競技者の一人が、同性愛の嫌疑で捕らえられ、牢にぶちこまれたためである。そうでなくても住民たちは日ごろから、ローマの重圧で苦しい生活を強いられていた。このとき、耐えに耐えていた怒りが爆発し、「彼を釈放して競技に出場させろ!」と、大騒ぎになったのである。
当時のローマ皇帝であるテオドシウス帝のもとにも、その報せは届いた。もともとテオドシウス帝は気短かなタイプだったが、このときも、「よくもかわいい部下を殺して、ローマ皇帝の権威を愚弄してくれたな」と怒りまくった。
テオドシウス帝は、テッサロニーカの住民どもに思い知らせてやろうと決意した。しかし計八〇〇〇人の住民一人一人を相手にしていたのでは、埒《らち》が明かない。そこで全員を束にして、闘技場に招待したのである。
何も知らない住民たちは、ただで競技が楽しめるとでも思ったのだろうか? しかしそれは、とんだ思い違いというもの。テオドシウスの罠に、まんまと引っ掛かってしまったのである。八〇〇〇人の住民が競技場に集まってしまうと、すべてのドアが、突然バタバタと閉められたのだ。
そして「殺せ!」の合図が下るとともに、ローマ兵たちが住民のなかになだれこみ、剣や槍をふるって、つぎつぎと無防備な住民を殺しまくったのだ。地獄のような数時間が過ぎ、ふと気がついたときには、競技場の地面に、八〇〇〇人の住民の血みどろの死体が、累々と横たわっていた。
しかし、ニュースを聞いたミラノ司教は、テオドシウス帝の非道な仕打ちに激怒した。テオドシウス帝はただちに破門を宣告され、公衆の面前で屈辱的な懺悔を強いられたあげく、やっとのことで破門を解いてもらえるという騒ぎになったのである。