一三世紀イランの地理学者アブー・ヤフヤー・ザカリヤー・アル・カズウィニーの『諸国の名所と人間の物語』には、インドにしか産しない、「ビーシュ」という珍しい植物が紹介されている。致死の毒物で、これを食べたものは、たちどころに死んでしまうという。
聞くところによると、インドの王たちは誰かを殺害しようと企んだときは、生まれたばかりの女の子の揺りかごの下に、一定期間のあいだこの毒草をまいておく。その後は、また一定期間のあいだ、その子の布団の下に毒草をまいておく。
さらにその後は、また一定期間のあいだ、その子の衣服のなかに毒草を入れておく。つぎには乳のなかに混ぜて、その子に飲ませる。こうすると、その子は成長するにつれて、すっかり体が免疫性になり、その後はたとえその毒草を食べても、なんの害も受けない。
そうなったとき初めて、王はこの娘に豪奢な贈り物をつけて、殺したいと思っている相手の王のもとに送り届ける。相手の王がその娘を抱いて、甘い接吻をかわしたとたん、猛毒に見舞われ、苦悶しながらその場で息絶えてしまうというわけだ……。
のちの研究で、この毒草�ビーシュ�が、トリカブトであることが判明したとされる。ナザニエル・ホーソンの小説『ラパシーニの娘』のなかで、バッリオーニ博士が語る、アレクサンダー大王が受けとった贈り物の美女というのも、実はこのようにして育てられた�毒娘�にほかならない。
『アリストテレスの養生訓』という書物には、アレキサンダー大王がインドに攻め込んだとき、インドの王様から四つの贈り物を贈られたと書かれている。四つとは、�絶世の美女、酌めども尽きぬさかずき、患者の尿をみただけであらゆる病気をなおす医者、日月の運行であらゆることを予言する占星家�である。そのなかの絶世の美女というのが、ほかならぬ毒草ビーシュで育てられた�毒娘�なのだ。
この『養生訓』は、アリストテレスが愛弟子だったアレキサンダー大王の健康を気づかって書き送った書簡集であるというが、じつは偽書であるとも言われているから、真偽のほどは分からない。いずれにしても、その後アレキサンダー大王が命をとりとめてインドからバビロンに帰ったことは確かだが、それからまもなく、彼は三二歳の若さで世を去っている。毒殺だという説もあり、アレキサンダーの死後、アテナイを追われた師アリストテレスも、トリカブトを用いて自殺したという説もある。