ルネサンス時代のイタリアの暴君には、残酷なサディストが多い。まず一四世紀のミラノ公ジャンガレアッツォは、捕らえた政敵から自白を引き出すとき、「四旬節」と名付けられた残虐な拷問法をもちいた。犠牲者はまず関節を断たれ、舌を抜かれ、さらに鼻をそがれて、最後に耳を切り落とされる。四〇日かけての拷問なので、「四旬節」と呼ばれたのである。
つぎに一五世紀のミラノ公ジョヴァンニ・マリーアは、人間を噛み殺すよう訓練された犬をたくさん飼っていた。彼の趣味は、囚人を生きながら飼い犬に投げあたえ、犬たちが唸りをあげて囚人に突進してその肉をむさぼり食うさまを、見物することだった。
ある日、あいつぐ戦争に苦しんでいる民衆が、通りかかったジョヴァンニの行列に駆け寄って、「平和! 平和!」と訴えた。すると激怒したジョヴァンニは、民衆のあいだに傭兵を斬りこませ、たちまち二〇〇人もの民衆を虐殺させてしまった。その後は祈りのときさえ、「平和」と「戦争反対」という言葉を口にすることを固く禁止したという。
一五世紀のナポリ公フェランテは、ミイラ・コレクションという変わった趣味を持っていた。彼は捕らえた敵を牢獄にぶちこみ、食事のかわりに緩効性の毒薬を与えて、わざと生かしておく。そしてときおり牢を訪れ、「どうだ苦しいか、もっと苦しめ、もっと苦しめ」などとさんざんからかう。
こうしていたぶるだけいたぶっておいて、ようやく処刑してからも、すぐに相手を天国に行かせたりはしない。今度は死体に香油バルサムを塗り、生きていたときの服を着せて、自分の部屋に飾っておく。それを腹心の者や客たちに見せびらかし、一緒になってミイラをさんざんからかっては、ワイワイ浮かれ騒ぐのだ。
彼のミイラ・コレクションは、しだいに増えていった。新しくそれに加えられるのは、彼を裏切った者たちである。まず相手を食事に招き、思いきり御馳走して安心させては、不意をついて捕らえるというのが、彼のやり方だった。