ルネサンス時代のローマ法王たちの破廉恥さは、目にあまる。たとえばヨハネス二三世は,二〇〇人以上の人妻や未亡人を玩んだし、ユリウス二世は、たび重なる女遊びで梅毒にかかり、鼻はかけ、足は腐り、晩年には手押し車に乗ってミサを主催した。パウルス三世も実の妹と関係を結んだりしている。
しかしなんといっても筆頭は、ボルジア家のアレッサンドロ六世だろう。彼はサン・ピエトロ聖堂で行なわれた処女受胎節のとき,貧民の娘たち百余人のなかから、特に美しい娘たちを選んで、接見と称して無理やり処女を奪ったという。
アレッサンドロといえばなんといっても、ボルジア家の毒薬が有名だ。だが、この毒薬が本当のところ、どういうものだったかは不明である。ただ、ボルジア家の人々が、古代の毒物学を研究し、これをもとにプトマイン(屍毒)の調合法を発見していたことは、間違いないようだ。
殺した豚の内臓に亜砒酸をくわえ、これを乾かして粉状にしたのが、有名なボルジア家の毒薬「カンタレラ」だという。これは少しずつ長期にわたって用いることも、一瞬に相手を殺すこともできた。そのときの都合で、相手の死を一日後とか、一年後とか、決めることもできたのだ。
これを飲まされると、急に肌がしぼんでからだの力が抜け、髪は真っ白になり歯は抜け、息苦しくなり寒気がしてきて、狂ったように苦しみぬいて死んでいく。その瞬間になってようやく,そういえば、しばらく前にボルジアの毒を飲まされたと気づくのだ。