未開地の原住民たちは、文明人の鉄砲や大砲のかわりに、毒を塗った吹き矢や弓矢を使用する。東インドの原住民の用いるストリキニーネなども有名だが、なかでも興味深いのが、アメリカ・インディアンの使う�クラーレ�だろう。
しかしそれについて、くわしいことはほとんど知られていない。原始民族の共同体をおおう、秘密主義のベールをはがすのが非常にむずかしいのだ。アフリカや南米の原住民たちは、いまでも狩りや戦いに毒矢を用いているはずだが、何からその毒をとるかということは、彼らのあいだだけの固い秘密になっている。
南米の原住民の使うクラーレは、エリザベス一世の家臣だったウォルター・ローリー卿が、一六世紀末にヨーロッパに持ちかえったことで知られるものだ。文豪ゲーテと親しく、探検家としても有名だった、ドイツの自然科学者アレキサンダー・フォン・フンボルトは、壺のなかから流れでたクラーレが、虫にさされた傷から侵入して中毒しているし、同行者の一人も、指の傷からクラーレが侵入したため気を失っている。このようにクラーレは、昔からよく探検家らのあいだに恐慌を巻き起こしたものである。
クラーレが体内に侵入するときは、なんの痛みも苦しみも感じない。筋肉のなかの運動神経末梢をマヒさせるからだ。この矢で射られた動物は、たいして苦しむこともなく、しだいに呼吸困難になって死んでいく。しかも奇妙にも、クラーレは内服しても中毒しないので、この毒で殺された動物の肉を食べても、毒にやられることはないのだ。
現代では、ソ連に捕らえられたアメリカのU2型機事件のスパイが、自殺用にクラーレと注射器を所持していたというので評判になった。スパイが自殺用に毒薬を携帯することはよくあるが、クラーレというのがめずらしかったのだ。
クラーレのとれる植物は、ストリキニーネと同じ馬銭《マチン》科に属する植物で、毒はその皮部と木部にふくまれている。ブラジル、ペルー、アマゾン流域などにすむ原住民は、この植物の恐ろしさをよく知っている。
興味深いことに、原住民がこの毒のエキスを調整するときは、お祭りのような儀式が行なわれる。「毒男」という役目の者が、作業にあたる者たちを指図する。鍋のなかがぐつぐつ煮えてくると、有毒ガスが立ち昇るので、みな周囲から離れてしまうが、鍋の様子を見るために一人だけはわきに残っていなければならない。その役は、老婆が引き受け、種族の犠牲となって死ぬのである。毒のエキスが煮詰まったころ、みなが鍋のまわりに集まってみると、すでに老婆は冷たくなっているというわけだ……。