アーンフィン・ネセット医師は、ノルウェーのとある地方都市で、大きな総合病院を経営している。
その夜、ネセット医師は、夜中近くになってもまだ、カルテを眺めながら一人うなずいていた。そして突然思い立ったように席を立ち、廊下をすたすたと、入院患者の病棟に向かった。
病棟内はしーんと静まりかえっている。ネセット医師が足を止めたのは、今年九〇歳になる入院患者の部屋の前だった。医師はドアをあけ、音もなくその部屋に忍び込んだ。患者は歯のぬけた口をぽかんと開けて、死んだように眠りこけている。
もうこの患者が長くないことは、あらゆる検査の結果が一致して語っていた。このまま生きつづけていても、本人も家族の者もつらいだけだ。早くあの世に行ったほうが、結局は本人や家族のためなのだ……。
ネセット医師はそう自分に言い聞かせると、患者の静脈にすばやく注射をうった。南米のインディオが使う、クラーレという猛毒である。これなら他の毒薬と違って、時間がたつと一切の痕跡が残らない。完全犯罪が可能なのだ。
かくて老人は、ぐっすり眠ったまま、静かに息をひきとった。このようにしてネセット医師は、一九七七年から一九八一年までのあいだに、計六二人もの老人を、注射で天国に送りこんだのである。
「患者は苦しみもなく、おだやかな顔で死んでいきました。私は医師として、当然やるべき義務を果たしただけです」
これが、ネセット医師の法廷での主張だった。しかし実のところ、一人、二人と殺しているうちに面白くなり、だんだんやめられなくなったというのが、本当のところらしい。
一九八三年にも、オーストリアで、やはり患者たちを安楽死させた、看護婦三人が捕まっている。ワーグナー、グルーバー、ライドルフの三人で、ウィーンのラインツ市立病院で働く看護婦たちである。
七七年に初めて老人患者を注射で�安楽死�させたが、一切疑われなかったことに気を良くして、なんとその後はつぎつぎ安楽死候補者を選びだし、予定表まで作った。初めのうちは目立たないように、三カ月に一人という割合で殺していた。しかしどんどんエスカレートして、しまいには一カ月に三人も�安楽死�させていたという。まるで、一種の殺人工場である。
この三人に憎まれたらもう最後で、わがままだったり、口うるさかったり、ちょっとでも態度が悪い患者は、さっそくリストに名をのせられる。このようにして六年間で、四四人の患者があの世に送られた。ついに死因を疑いだしたオーストリア警察が調査した結果、この三人の看護婦が浮上したのである。
逮捕された三人は、患者を殺した動機について、「重病患者が、死を前にして苦しむのを見ていられなかったの」などと殊勝ぶっていたが、実のところは、「態度のデカい患者に、さっさとあの世に行ってもらったまでよ」というのが、本音だったようだ。