一九八二年三月、デンマークのドイツ国境近くのパドボルグ。イェルンベーンゲイド一八番地のアパートでは、ここ数カ月、住民たちはひどい悪臭に悩まされていた。三月二九日、家主から依頼を受けた修理職人たちが、屋根の古タイルを剥がしはじめた。屋根の頂上から軒端へとだんだん下がっていくと、悪臭はさらにひどくなった。
軒端にほど近いところでタイルを一列ほど剥がしたとき、職人は空間に何かが長々と横たわっているのを発見した。それが死体と分かった瞬間、彼は恐怖の叫びをあげた。真っ白な粉でおおわれたかたまりのあいだから、白骨化した片腕が突きでて、頭頂部には肉のそげ落ちたグロテスクな頭蓋骨がのっかっている。ブロンドの髪が、束になってかたわらに落ちていた。
真下はちょうど、ルイジ・ロンギという、二九歳の青年の屋根裏部屋にあたっていた。ただちにロンギ青年は警察に連行され、あっさり犯行を認め、その女性が急死したのでどうしていいか分からず、あそこに置いたのだと弁明した。
解剖の結果、死因は絞殺と分かった。首を細ひもで絞めただけでなく、手足を縛り、猿ぐつわも噛ませていた。彼は、その女性がハイケという名前で、昨年の五月三〇日の夜、鉄道の駅近くの軽食堂で会ったこと以外、何も知らないと答えた。その晩泊まるところを探しているというので、自分のアパートに誘ったのだという。
じつはロンギは一七のとき、奇妙な理由で逮捕されていた。ある女性が仕事を終えて出てくるのを待ち伏せし、ナイフで脅して部屋に連れ込み、無理やり彼女の髪を洗ったのである。
洗髪以外には何もしておらず、当局側はどんな罪名を適用していいか頭を痛めた。が、結局、凶器をふるって脅したかどで起訴され、二年間の保護観察処分になった。
じつはロンギは子供のころから、母親のカツラにマスターベーションするという奇妙な習慣があった。しかも使用前に、そのカツラにシャンプーをたっぷりかけて洗うのだ。
が、しだいにカツラで満足できなくなり、生身の女性、それもブロンドの長い髪がほしくなった。もはやマスターベーションも必要なくなり、相手の髪にシャンプーをふりかけて洗うだけでオーガスムを覚えるようになった。
彼は、日に三回も四回もたてつづけに女性の髪をあらい、クライマックスに達するのだった。それ以外に暴力をふるうということもなかったので、精神科医らは懲役より精神的治療が必要だと勧告した。が、効果はなかったようで、一年とたたぬうちに彼はまたも若い女性をナイフで威嚇し、縛りあげて猿ぐつわをかませ、洗髪を強要したのだ。
数回、若い女性ばかりを相手に洗髪事件を引き起こしたため、一九七七年、スイス当局はついに彼を国外に追放した。
「僕にはブロンド女性の長い髪を洗う以外に、性的満足を覚える道がないんです。いろんな方法を試しましたが、みなさっぱりでした。相手が抵抗しないで応じてさえくれれば、何もかも無事に運ぶし、面倒なことは何もありません。
ところが一度、予期しない結果になって慌てたことがあります。その少女は一四歳でしたが、肉体関係を求めたのです。僕にそれが無理と分かると、がらりと態度を変え、あんたに乱暴されたと、警察に訴えでてやるといって脅すのです。
相手の年が年だから怖くなって、ぼくはドイツを去ってデンマークに逃げこんできました。でもここパドボルグには娼婦はいてもブロンドは少ないし、欲求不満になっていました。そんなおり、ある軽食堂でハイケをみかけ、のっけからシャンプーで髪を洗わせてくれないかと頼んだんです」
気のいいハイケは、簡単に承知した。洗髪だけで終わるはずはないと思ったし、ロンギはまんざら魅力がないわけではない。最初のうちはヒモも猿ぐつわも必要なかったが、四回目の洗髪が終わると彼女は、落ちつかなくなってきた。要注意と思ったロンギは縛りあげ、猿ぐつわをかませた。大声をあげて他の住人に気付かれては大変だ。
ハイケはだんだん腹がたってきたようで、両足でどんどん床を叩きはじめた。慌てたロンギは、首にまきつけていた細ヒモをちょっときつく締めつけた。気がついたときには、彼女はすでに息がなかった。あまりあっけなくて、信じられないほどだ。ハイケが絶命してからも、髪を洗いつづけたかと聞かれ、彼は悲しげに答えた。「いいえ、僕は生きた女性でなければ駄目なんです」
これまでロンギは、一二人の娘の髪をシャンプーで洗った。ハイケは不吉な一三番目の犠牲者となる。どの娘も無理強いでなく、合意のうえだったという。陪審員は彼の供述を聞いて、どんな宣告を下したらいいか首をひねった。
あらかじめ殺意を抱いてなかったのは明白だが、ロンギが潜在的に危険な人物で、プレッシャーがこうじてくると、また洗髪を再開する恐れは強い。結局、法廷は「殺意なき殺人」とみとめて、終身刑を宣告した。ただし送り込んだ先は、刑務所ではなく、性変質者を治療するための精神医療施設である。