ドイツ南部のウルム市に住むインゲボルクは、化学博士で大学教授のジークフリート・ルオップの妻だった。何不自由ない生活のはずなのに、不運にも四二歳の若さで癌に冒され、あと一年の命と宣告されていた。
余命いくばくもない妻を慰めようと、夫は毎日のように手作りのキイチゴのジャムを病室にとどけた。堅い職業にもかかわらず、彼はキイチゴジャムを作る名人なのだ。夏につんだキイチゴを使って作るジャムの、舌にとろりと溶けるようなその味……。インゲボルクはベッドのうえでジャムを口に運びながら、やさしい夫の愛にふと涙ぐむのだった。
じつは彼女には、一〇年前、夫を裏切った苦い経験があった。不倫相手は夫の友人のボルツァー医師。たがいに家庭を捨てて一緒になろうと思いつめていたのだが、ある日、スピード狂のボルツァー医師を、突然の交通事故が襲う。猛スピードで走らせるポルシェを道路わきの木にぶつけ、ダッシュボードにぶつけた頭の中身を一面にぶちまけて即死。
しばらくはショックで廃人のようだったインゲボルクだが、なんとか立ち直っていった。夫のジークフリートは妻の悲しみを思いやるかのように、彼女の裏切りについて一言も触れようとはしなかった。そして何事もなかったように、二人の結婚生活はつづいた……。
夫にも子供たちにも、なんの不満もない。ただ、四二歳の若さで世を去らねばならないとは……。なんとかしてもっと長生きしたい……。
その日いつものように夫が持ってきてくれたジャムを口に運んでいた、インゲボルクの頭を、ふと奇妙な考えがよぎった。それにしても、どうして夫はこんなにおいしいジャムを一度も口にしないのだろう。そして子供たちも……。
いつも、太る恐れがあるから食べ物は控え目にするようにと言う夫が、なぜこのジャムだけは熱心にすすめるのだろう。まるでなにかにとりつかれたみたい。持ってきてくれるのも、もっぱらジャムだけ。いったい何故なの……?
鎮痛剤でぼんやりしたインゲボルクの頭をある疑いがよぎったが、その途端ぞっとして、思わずスプーンを放り出してしまった。こんなことを考えるなんてどうかしている。よりによってあんなによくしてくれる夫を疑うなんて……。
でも彼は科学者だから、毒物の知識にかけては専門家だ。それに学部長なんだから、学校の予算を使ってどんな化学薬品も毒物も好きなだけ手に入るはず……。
いてもたってもいられなくなったインゲボルクは、担当医師を呼んでもらい、夫が持ってきたキイチゴのジャムを、検査にまわしてくれるよう懇願した。絶望のあまり異常なことを言い出したのだと思った医師は、「いいとも」とやさしくジャムを受けとっていった。
ところが信じられないことに、検査の結果、確かにジャムに異常物質がまぎれこんでいることが発覚したのである。ごく少量が口から入っても、百パーセント肝臓癌を発生させるという、強力な発癌物質だった。そのうえ体内からすみやかに排泄されるので、死亡直後でないかぎり、遺体を解剖しても痕跡を発見するのは困難だという。
ではジークフリートは、妻を癌にして、殺害しようとたくらんだのか?
その物質が自然界に存在しており、何かの拍子にジャムのなかに紛れこんだ可能性も検討されたが、それはまず無理だという。関係者なら素人には名も明かさないだろう危険な物質で、ふつう簡単に手に入るしろものではないという。
そんなに危険な物質なら、出所は限られており、売るほうも記録をつけているはずである。学校ルートか個人的ルートかは分からないが、購入先を突き止める方法はむしろ簡単なはずだった。
捜査にあたった警部補は、まもなくジークフリートが何度かにわたってその物質を購入していた事実をつきとめた。最初に購入したのが一九七五年一一月で、量は三〇グラム。一九七六年六月には、やはり三〇グラム。最後に購入したのは今年の七七年五月で、二五グラム……
費用の総額約一五五マルクは学校の予算から支払われており、売主は、これだけあればウルムの全市民に癌を起こさせることも出来ると請け合った。
ついにジークフリート・ルオップ博士は逮捕されたが、あの薬品に発癌性があるなど、ついぞ知らなかったと言い張った。
「私の教室で実験用に購入している、化学物質の一つに過ぎません。発癌性があるなんて、うかつですが知りませんでした。そりゃ学校の実験室には、毒性のある化学物質もいろいろ置いてあります。だからといって……」
「奥さんは、毒よりはるかに悪質な物質を与えられたんです。癌細胞が増殖して、確実に死んでしまうのですから、なまじっかな毒物よりよほどたちが悪い」
警部の追及にも、ジークフリートは終始、動揺の色一つ見せなかった。それにしても、なぜ手製のキイチゴ・ジャムのなかにそれが紛れ込んだのかという質問には、
「じつは金魚池の藻をとりのぞくため、いくらか自宅に持ち帰っていたんです。台所道具に付着したのかも知れません。まさか発癌性があろうとは知らなかったので、別に注意をはらわなかったんです」
事実、彼は金魚池の藻にそれを使用したばかりか、効果を示すため実験結果を教室まで持ち込んでいた。ごく微量を水中に投じると、あっというまに池のなかの金魚は残らず息たえ、実験に立ちあった学生らは異口同音、そのとき教授は当惑して「量が多すぎたかな」などとつぶやいていたと証言した。
ついに事件は一九七八年四月、法廷に持ちこまれた。そのあいだもインゲボルクは,癌にむしばまれたからだを、大学付属病院の集中治療室のベッドに横たえていた。
裁判でもジークフリート側は終始、その物質に発癌性があることを知らなかったと主張しつづけたが、検事側証人として出廷した化学者たちは、本当にそれを知らなかったとすれば、ルオップ教授が博士号を持っているとは信じがたいと皮肉った。そしてその物質のごく微量が実験室の床にこぼれたのを知らずにいたため、少なくとも一名の研究者が命を落とした事実があると指摘した。
さらに科学者らは、万一ルオップ教授の言われるように、台所道具に付着していたとしたら、いまごろはルオップ家全員が末期癌におかされているだろうとも証言した。
依然、ジークフリートは無実を訴えつづけていたが、七八年四月一三日、陪審員は起訴状どおり有罪を宣告。その結果、終身刑、特にいかなる理由があろうと早期釈放は不可なるむねの、条件つき終身刑が申し渡された。
三カ月後、獄中でジークフリートが五一歳の誕生日を迎えたその日に、ついにインゲボルクが激痛にさいなまれながら世を去った。彼女は「自分自身の殺人事件」解決の主役となり、しかも殺人犯の有罪宣告と投獄をみずからの目で確かめた、おそらく犯罪史上唯一の人間だろう……。