武烈天皇が皇位につく前のこと。彼は物部|麁鹿火《あらかび》の娘の影媛に思いをよせたが、すでに影媛が、大臣の平郡《へぐり》真鳥の子である鮪《しび》と恋仲になっていることを知る。嫉妬の炎を燃やした武烈は、鮪を捕らえさせて処刑し、さらに父真鳥の邸を攻めて焼き殺してしまったという。
この武烈天皇も、むごたらしい拷問や処刑を好んだことで知られる。たとえば囚人の頭の毛を全部引き抜いてから、木のうえに追い上げ、その木を切り倒して、囚人を落として楽しんだり、木のうえの囚人を下から弓で射殺し、落下するのを見て楽しんだ。
あるいは囚人の両手の爪を全部剥がして、その手で芋を掘らせ、血だらけになって苦しむのを見て楽しんだ。さらには、囚人を池の堤の水路に投げて、外に流れて来るのを待ち、それを矛で刺し殺したりもした。
またあるときは、女の囚人を全裸にして板のうえに引きすえ、そのまえで馬を交尾させた。その後で女の陰部を点検し、そこがしめっている者は殺し、そうでない者は官婢に取り立てたともいう。
さらに、特に武烈の愛した処刑法が、臨月の女を生きながら、腹を刃物で真っ二つにすることだった。傷口からは血しぶきが上がり、臓物があふれ、子宮があらわになる。女の絶叫を無視して、刃の切っ先でさらにそれをえぐると、中から血まみれの胎児があらわれる。それを刃の切っ先でえぐり出して、楽しむのである。
我が国の正史で、これほどの悪虐ぶりを記された君主は他にはいない。しかしこれは、武烈天皇のあと、仁徳王朝を倒して新王朝を築いた、継体天皇の存在を正当化するために、武烈の残酷さをことさら強調したのだという説もある。