雄略天皇は武烈天皇と並んで、残酷刑を好んだ天皇として知られる。この天皇が行なった刑罰のなかには、たとえばつぎのようなものがある。
かねがねお上に不満を抱いていた畿内の豪族が、ある日、兵をあげて宮中に火をはなった。火は見る見るうちにひろがり、雄略天皇の居る場所のすぐ近くまで迫ってきた。天皇は側近たちに助けられ、ほうほうのていで逃げようとした。が、そのとき、一人の老人がつめより、御粮《みかしろ》を奪い去ったのだ。
ようやく奇襲がおさまったあと、怒りさめやらぬ雄略天皇は、さっそくその老人を捕らえるように命じた。捕らえられた老人は飛鳥川の川原に引き立てられ、そこで首を落とされた。が、これで、天皇の怒りがおさまったわけではない。
雄略天皇は老人の一族を一人残らず捕らえて、なんとその一人一人の、膝の筋を切断するよう命じたのだ。刑場に引きすえられ、執行人につぎつぎと膝を斬られていった一族郎党の者たちは、立ちあがることもできず、ひたすらもがき苦しんで、その場をのたうちまわるばかり……。それこそ、見るも無残な光景だった。