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美しき殺法78

时间: 2020-07-25    进入日语论坛
核心提示:釜ゆで(1)関白だった豊臣秀次に依頼され、ちどりの香炉を盗みに秀吉の寝所に入った石川五右衛門は、仙石権兵衛、薄田隼人正に
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釜ゆで(1)

関白だった豊臣秀次に依頼され、ちどりの香炉を盗みに秀吉の寝所に入った石川五右衛門は、仙石権兵衛、薄田隼人正に捕らえられてしまう。拷問にかけられても依頼主をはかないばかりか、さらに五右衛門は秀吉を、「王位を盗み、天下を盗み、六十余州を奪いとった盗賊」と、ののしったという。
五右衛門の処刑に関して、車裂、鋸引き、逆磔、釜ゆでと、いくつかの方法が提案されたが、秀吉は当時もっとも見物人を集める処刑だといって、釜ゆでを選んだ。こうして五右衛門は、「石川や浜の真砂は尽くるとも、世に盗賊の種は尽きまじ……」の一句を残して、いよいよ冥土に旅出する……。
五右衛門といえば、強盗の元祖のように言われるが、豊臣秀次のはなったスパイだとか、伊賀の忍者百地三太夫の弟子だとか、さまざまな異説も唱えられる。とにかく『古老茶話』などによると、ただの盗賊ではないようだ。その処刑も、ただの盗賊の処刑にしては、あまりに大がかりなものだった。
三条河原の処刑場は、四方を三重の竹矢来でかこみ、そのなかに大釜が置かれている。使用したのは水ではなく、大樽一〇個以上もの油だった。柴は一〇〇ぱ、油がかり一〇人、柴がかり一〇人の足軽。しかも京都所司代みずから指揮して、五〇〇名以上の役人が、厳重な警戒にあたった。
縁座して殺されたのは、五右衛門の息子と母親と、その他同類一一人だった。煮殺しというより、生きた人間のカラ揚げ刑といったほうがふさわしく、秀吉の憎しみが、よほど深かったことが察せられる。
五右衛門は煮えたぎる油のなかで、苦しみ悶えながらも、子供の苦しみを少しでも軽くしてやろうと、両手で高くかかげていた。しかし最後に、子供を油のなかに投じて、自分の足で踏みつけたという。熱さのために狂乱して、そうしてしまったのか。それとも一気に殺すことが、子供のためだと思ったのだろうか?
ところで、�五右衛門釜ゆでの釜�だと伝えられるものが、日本各地にあるが、そのどれも、本物とは断定しがたいという。本物はたぶん三脚の大釜で、脚は外ぞりのものと推定されるが、残っているのは四脚だったり三脚だったり、脚が内ぞりだったり外ぞりだったりと、まちまちである。
慶長年間、奈良奉行の井上源五郎が、伏見城にあった五右衛門の釜をもらい受け、奈良に運んだといわれる。その釜らしいものが奈良監獄分署に保管されていて、警務協会に寄付されたというが、その釜というのも大変小さいもので、とても人を煮殺すような代物ではないという。恐らく、同型の模型ではないかと推定される。
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