駿河町奉行、彦坂九兵衛が創案した、「駿河問い」という悪名高い責め方がある。
まず、罪人の両手首を背中にまわし、両足首も背中にそらせて、しっかりと縛りかためる。背中のくぼみに重たい石を乗せ、手足を縛った縄を、上の横木にかけて引っ張りあげる。
体を弓なりに反らせ、縄で吊るされるだけでも苦しいのに、背に石の重りを乗せられているのだから、その苦しみはたとえようがない。罪人は体中が紫色に変わり、額からは汗が滲みだし、うんうん唸りだす。しかしこれはまだ、序の口だ。「駿河問い」の恐ろしさは、むしろこれからの責め方にあるのだ。
吊り下げられた罪人を、右まわりなら右の方へ、何回もぐるぐる回すと、吊っている縄が、だんだん捩じれていく。これ以上捩じれないというところまで来て、手をパッとはなすと、罪人の体は、ものすごい勢いで、反対方向にぐるぐる回転しはじめる。その勢いで、今度は逆の方向へ縄が捩じれていき、それがまたよりをもどして、ものすごい勢いでぐるぐる回転しはじめるというわけである。
このようにして何回となく、右まわり左まわりと、遠心脱水器みたいにぐるぐると勢いよく回転させる。これを繰り返すと、罪人は口や鼻など、体中の穴から血しぶきをあげ、全身から汗と脂をしぼり出し、それこそ地獄絵図のようなすさまじい光景になる。
罪人がぐったり動かなくなると、下におろして、水をかけて蘇生させる。そしてまた気がつくと、同じように繰り返し責めさいなむのである。当時の拷問に回数や時間の制限などはないから、それこそ何十回でも何時間でも、自白するまで繰り返される。
結局、罪人には、自白するか、それとも死んでしまうかの、二つの道しか残されていないのである。たとえ運よく命をとりとめても、一生、障害者として生きていく運命が待っていた。