江戸小伝馬町牢屋敷内に、ぶ厚い漆喰の壁にかこまれ、一つしか入口のない、見るからに陰惨な小部屋があった。罪人たちはここを、「拷問蔵」と呼んで恐れていた。ここに押し込まれて扉を閉められてしまうと、もうどんなに悲鳴をあげようと、外には何も聞こえない。ここで、世にも恐ろしい拷問、「海老責め」と「釣るし責め」が行なわれたのだ。
「海老責め」は、背を曲げて縛ったかたちが、どこかエビに似ているので、こう名づけられた。まず、上半身を裸にして、両手を後ろにまわし、左右の手首を重ねて縛る。両足はあぐらをかくようにして、左右の足首を重ねて縛る。
そして後ろ手首を縛った縄を、一本ずつ左右にわけ、背をエビのようにまげ、あごを足首にくっつけて、後ろからの縄で、肩、腕、すねと一緒に、横一文字のかたちに縛りつけるのだ。
まるでアクロバットのような真一文字の形にされてしまうのだから、時間がたつにつれ、じわじわと苦しみが増してくる。そのうえ、ときにはこの姿勢のまま、棒で力まかせに打ちすえられるというから、たまったものではない。
半時間もたつと血行障害を起こし、全身がうっ血で真っ赤になり、脂汗が流れ出て、意識がもうろうとしてくる。もっとひどくなると、この真っ赤が不気味な紫色に、さらにはもっと黒みを帯びてくる。そうなると、血管が盛りあがり、呼吸がみだれ、あげくは口や鼻から血があふれ出して、仮死状態になる。
その場には医師が立ち会い、死のぎりぎり寸前まで見届けると、拷問を中止するよう指示を出す。すると縄をとき、薬や水を与えて、いったんは牢に返すという。だが、記録によると、この拷問を受けて、生き残ったものはほとんどいないのだそうだ。