『武門諸説拾遺』によると、寛永一七年(一六四〇)、徳川幕府は、改宗をこばむキリシタン七十余名を捕らえて、品川沖で水磔にかけた。「水磔」とは、囚人を磔柱に逆さに釘づけにして、海中に放置しておくものである。
満ち潮時になると、囚人の顔はもとより、首から肩あたりまで、水にどっぷりとつかってしまう。鼻から口から水が容赦なく流れこみ、それこそ囚人は息をつくことも出来ない。あまりの苦しさにもがこうとしても、体は磔柱に釘づけになっているので、身動きも出来ない。叫ぼうとしても、いたずらに水を飲みこむばかりで声も出せない。その苦しさはまさに、言いようのないものだったろう。
干潮時になるとようやく水が引いて、水面から顔があらわれるが、そのときにはもう、顔面は無残に腫れあがり、二目とみられない凄まじいものに変わりはてている。
それでも人間の生命力は強いもの。八日間,水のなかで苦しみながらも生き続けていて、ようやく息たえた者もあったという。
これに良く似たので、「水漬け」というものもある。税金を収めなかった農民を、目籠に入れて汚水のなかにしずめ、ときたま引きあげては責めさいなむというものである。
木の枝に逆さにして吊りさげ、滑車を通した吊り綱をゆるめて水中にしずめる。気絶しない程度の時間を見て、吊り綱を引いて水中から吊りあげる。これを何度も何度もくりかえすと、息は出来ず、血液が頭に集まって鬱血し、やがて悶絶してしまう。すると枝からおろして、水をぶっかけて正気に返らせては、また同じ拷問をつづけるのである。