大正六年三月二日午後五時ごろ、龍泉寺町の開業医、末弘順吾は往診をたのまれて、近所の患者の家に向かった。二階に若い女が寝ており、そばに三〇ぐらいの男がすわって、布団のうえから女の胸をさすっている。
室内には、病人の体から発しているらしい、異様な臭気がただよっていた。医師が布団をめくって目にしたのは、世にも無残な女の姿だった。手足の指が何本も切断され、さらに焼け火箸による火傷跡や鋭い刃物による切り傷が、あちこちに発見されたのである。
異常を感じた末弘医師は、応急処置をすませると、所轄の下谷坂本署に通報した。坂本署からは織本警部補が係官をつれてその家を臨検。男を引致するとともに、証拠品数点を押収した。なお女は、警察医の手当てもむなしく、同夜死んでしまったという。
取り調べの結果、男は栃木県那須郡生まれの大工、小口末吉(二九歳)、女は小口の内妻で、府下瀧野川三軒家の矢作森之丞長女、よね(二三歳)とわかった。よねは以前、吉原のある遊郭で女中として働いており、そこで小口と知り合ったという。
取り調べの結果、ついに三日午前二時になって、末吉は逐一自白におよんだ。
小口とよねが同棲を始めたアパートの隣室に、山岸広治(二八歳)という妓夫が間借りしていた。妓夫とは遊郭の客引きのことで、昼間は部屋でぶらぶらしている。この山岸が、よねと肉体関係を持ってしまったのである。
最初まったく気付かなかった小口は、大工仲間からそれを知らされた。小口は一二月のある日、仕事先に行くふりをして、屋根にのぼって自分の部屋をのぞきこんだ。そこで山岸とよねが乳くりあっているのを目撃し、カッとした小口は、山岸とよねを殴りつけたのである。
結局、よねが小口に詫びを入れ、小口が山岸に一〇円の手切れ金をやって、けりがつき、翌年一月、二人は新規まきなおしとばかり、龍泉寺町の鈴木新吉方に転居した。しかし、生まれつき嫉妬深い小口は、よねの犯した不倫を思い出すたびに、よねを手荒く責めた。四肢を細紐で縛り、タオルで猿ぐつわをはめ、刃物で両足親指を切断したのを手始めに、焼け火箸で背中に「小口末吉の妻」と烙印を押したり、残忍きわまる凶行に出た。よねは生き地獄にも等しい折檻を浴びたあげく、ついに連日の虐待で死にいたらしめられた……。
以上が、警察が小口の自供から引き出した結論である。要するに、内妻よねの浮気を知って嫉妬に狂った亭主が、残虐きわまりない手口で殺害したというのが、当時の警察の見方であった。
よねを往診した医師が目のあたりにした光景は、死体解剖に立ち会った東京帝大法医学教室助手、古畑種基氏の著書『今だから話そう』(中央公論社)に、こう書かれている。(抜粋)
「部屋に入るなり、ゾッとするような悪寒を背筋に感じた。病人を寝かせたそばに、亭主らしい男が茫然とした顔ですわり、それでもフトンのうえから女の胸のあたりをさすっている。女のほうは頭からフトンをかぶったまま、苦しそうにあえいでいる。フトンをめくった医師は、いっそう強い悪臭に、思わず手をハナにあてた」
警察医が調べると、両足の親指がない。また、左手の薬指は第二関節以下がなく、同じ左手の小指の第二関節以下もない。しかも、全身が傷だらけで、腰から膝にかけては、二二カ所の傷が、体の前と後ろに二つずつ並び、陰部にもやはり左右に二つずつ並んだ傷が六カ所にあった。
さらに背中と右腕には、焼け火箸で「小口末吉の妻」と書かれている。背中のほうの傷は古く、字の形が崩れかけていたが、右腕の文字はまだ生々しかった。直接の死因は、数々の火傷のあとが化膿した自家中毒だと分かった。よねが死亡したのは、当日の夜九時ごろと見られる。
初めは小口末吉がよねを折檻死させたと見られたが、取り調べが進むにつれ、事件は意外な展開を見せた。二人はいわゆるサド・マゾの関係で、SM行為が加速するうちに、ついに殺してしまったことが判明したのである。
小口によると、
「よねが、山岸と関係を持ったことのお詫びとして、指を切りたいといいます。私が嫌だといったら、嫌だというのは別れる気だろうと言って、あくまで指を切ってくれと言い張るのです。
初め右手の小指を切ってくれと言いましたが、右手はいろいろ使うから、それだけはやめたほうがいいと言いました。すると、それでは左手の薬指だと言うので、そのとき左の薬指を切りました」
という。
小口によると、手足の指を切断したのは、たいてい肉体関係を持った直後で、女のほうから切ってくれと言うのだという。彼がためらっていると、女は自分で俎のうえに指をのせて、ノミで切りにかかる。しかしなかなか切れないで、おびただしい血が出てどうしようもなくなる。そこで仕方なく、小口が金槌でノミをたたいて切断することになるのだという。
「指の根を糸でしばって血の出ないようにして切ったのです。指はポーンと飛びました」
よねに迫られ、恐れおののく小口の姿が目に浮かぶようだが、これはまだ序の口で、よねの欲求は、さらにエスカレートしていくのである。
つぎによねが求めたのは、焼け火箸で「小口末吉の妻」と体に書くことだった。それを見て、自分が他の男に心を動かさないようにするためだという。最初、背中に書いてやったら、よねが「これでは自分で見えない」というので、改めて右の上膊部に焼きつけた。
「ところが、腕を下げると字が逆さになってしまうので、書き直してほしいという。そこで今度は向かい合いになって、左手に書いた。火箸はよねが、みずから炙ってくれた。
二、三日すると、今度は腕の外側にばかり書いてあるので、寝ていて見ようとしても何も見えない、寝ていても見えるように書いてくれという。なるほどと思って、今度は腕の内側に書いてやった。これで三通り書くことになった」
という。想像するだけで、何やらゾッとするような光景だ。小口の精神鑑定にあたった浅田一によれば、「小口は精神病者というわけではないが、生まれつき性格は愚鈍、だから判断力、抑制力は普通人より乏しい」という。よねがそんな小口を、好きなように動かしていたようにも思える。
焼け火箸を、よねは痛がっただろうと聞かれると、
「彼女は手ぬぐいを固くくわえて我慢して、熱いなどと言ったことはありません。むしろ、大きなお灸より楽だと言っていました」
と、小口は答えた。そして、
「私は(性行為のとき)、臭くっていやだと言いました。私の股のところに妻の膿がくっつくからです。妻は人に見られるのがいやだと、長いあいだ湯にも行っていないので、体が汚れて膿があちこちにくっついていて汚いのです。それで嫌だといっても、承知しないのです。
(左上膊と右大腿部前面を示し、)ここを切ったときには、私は嫌だから、切らなくてもいいと言いましたら、切らないのはきっと別れるつもりだろうから、もう死んじまうといって、着物を着替えて出掛けようとしました。妻は死ぬ死ぬというので、おっかなくて仕方なかったのです。
切るかわりに傷をつけてくれといって、妻が着物をつまんだので、私は皮膚をつまんで匕首でちょっと切ってやりましたが、そのときも痛いともなんとも言いません。血も沢山は出ません。今度は足だといって、足を出しました。私が嫌だと言ったら、あなたが切ったも同じだといって、自分で切りました」
よねのなかで、苦痛がどのように快楽に変化していったのかという点について、セックス心理学者の高橋鐵氏はこう述べている。
「よねはあくなきオルガスムス追求のため、衝動的な自己破壊をおこなうにいたった。つまり性交によっても満たされない欲求不満を、指を切ったりするマゾヒズムで満たした」
小口はよねをもてあますどころか、心から気にいっていたようだ。ただ、小口自身が本当にサディストだったかどうかは、疑わしい。彼が言われるままによねを傷つけたのは、結局、彼女に逃げられたくない一心にすぎなかったようだ。
結局、マゾヒストのよねが、小口をいいようにあやつり、快楽の道具にしていたというのが、一番正しいところだろう。SMが行き着くところまで行ったのちの死は、彼女の望むところだったのかも知れない。浅田一の『法医学講義』にのったよねの写真を見ると、見るも無残に傷つけられた体とは裏腹に、美しい死に顔はかすかに微笑しているようだ。
「ほれられたのが悪いのです。もう決して惚れも惚れられもしません」と、小口は浅田との談話で語っている。まさに、本当の被害者は、もしかしたら小口末吉なのかも知れない。
起訴後の小口については、一審で懲役一二年の判決を受け、控訴中に死亡したという説と、判決を待たずに亡くなったという説がある。死因は脳溢血とも肺結核ともいう。
小口によると、
「よねが、山岸と関係を持ったことのお詫びとして、指を切りたいといいます。私が嫌だといったら、嫌だというのは別れる気だろうと言って、あくまで指を切ってくれと言い張るのです。
初め右手の小指を切ってくれと言いましたが、右手はいろいろ使うから、それだけはやめたほうがいいと言いました。すると、それでは左手の薬指だと言うので、そのとき左の薬指を切りました」
という。
小口によると、手足の指を切断したのは、たいてい肉体関係を持った直後で、女のほうから切ってくれと言うのだという。彼がためらっていると、女は自分で俎のうえに指をのせて、ノミで切りにかかる。しかしなかなか切れないで、おびただしい血が出てどうしようもなくなる。そこで仕方なく、小口が金槌でノミをたたいて切断することになるのだという。
「指の根を糸でしばって血の出ないようにして切ったのです。指はポーンと飛びました」
よねに迫られ、恐れおののく小口の姿が目に浮かぶようだが、これはまだ序の口で、よねの欲求は、さらにエスカレートしていくのである。
つぎによねが求めたのは、焼け火箸で「小口末吉の妻」と体に書くことだった。それを見て、自分が他の男に心を動かさないようにするためだという。最初、背中に書いてやったら、よねが「これでは自分で見えない」というので、改めて右の上膊部に焼きつけた。
「ところが、腕を下げると字が逆さになってしまうので、書き直してほしいという。そこで今度は向かい合いになって、左手に書いた。火箸はよねが、みずから炙ってくれた。
二、三日すると、今度は腕の外側にばかり書いてあるので、寝ていて見ようとしても何も見えない、寝ていても見えるように書いてくれという。なるほどと思って、今度は腕の内側に書いてやった。これで三通り書くことになった」
という。想像するだけで、何やらゾッとするような光景だ。小口の精神鑑定にあたった浅田一によれば、「小口は精神病者というわけではないが、生まれつき性格は愚鈍、だから判断力、抑制力は普通人より乏しい」という。よねがそんな小口を、好きなように動かしていたようにも思える。
焼け火箸を、よねは痛がっただろうと聞かれると、
「彼女は手ぬぐいを固くくわえて我慢して、熱いなどと言ったことはありません。むしろ、大きなお灸より楽だと言っていました」
と、小口は答えた。そして、
「私は(性行為のとき)、臭くっていやだと言いました。私の股のところに妻の膿がくっつくからです。妻は人に見られるのがいやだと、長いあいだ湯にも行っていないので、体が汚れて膿があちこちにくっついていて汚いのです。それで嫌だといっても、承知しないのです。
(左上膊と右大腿部前面を示し、)ここを切ったときには、私は嫌だから、切らなくてもいいと言いましたら、切らないのはきっと別れるつもりだろうから、もう死んじまうといって、着物を着替えて出掛けようとしました。妻は死ぬ死ぬというので、おっかなくて仕方なかったのです。
切るかわりに傷をつけてくれといって、妻が着物をつまんだので、私は皮膚をつまんで匕首でちょっと切ってやりましたが、そのときも痛いともなんとも言いません。血も沢山は出ません。今度は足だといって、足を出しました。私が嫌だと言ったら、あなたが切ったも同じだといって、自分で切りました」
よねのなかで、苦痛がどのように快楽に変化していったのかという点について、セックス心理学者の高橋鐵氏はこう述べている。
「よねはあくなきオルガスムス追求のため、衝動的な自己破壊をおこなうにいたった。つまり性交によっても満たされない欲求不満を、指を切ったりするマゾヒズムで満たした」
小口はよねをもてあますどころか、心から気にいっていたようだ。ただ、小口自身が本当にサディストだったかどうかは、疑わしい。彼が言われるままによねを傷つけたのは、結局、彼女に逃げられたくない一心にすぎなかったようだ。
結局、マゾヒストのよねが、小口をいいようにあやつり、快楽の道具にしていたというのが、一番正しいところだろう。SMが行き着くところまで行ったのちの死は、彼女の望むところだったのかも知れない。浅田一の『法医学講義』にのったよねの写真を見ると、見るも無残に傷つけられた体とは裏腹に、美しい死に顔はかすかに微笑しているようだ。
「ほれられたのが悪いのです。もう決して惚れも惚れられもしません」と、小口は浅田との談話で語っている。まさに、本当の被害者は、もしかしたら小口末吉なのかも知れない。
起訴後の小口については、一審で懲役一二年の判決を受け、控訴中に死亡したという説と、判決を待たずに亡くなったという説がある。死因は脳溢血とも肺結核ともいう。