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美しき殺法99

时间: 2020-07-25    进入日语论坛
核心提示:陰部切り「陰部切り」で名高い阿部定事件が起きたのは、昭和一一年(一九三六)五月。二・二六事件の少しあとで、国内には戦争の
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陰部切り

「陰部切り」で名高い阿部定事件が起きたのは、昭和一一年(一九三六)五月。二・二六事件の少しあとで、国内には戦争の気運が満ちていた。政府はこの猟奇事件で、世間の目をほかにそらそうとしたようだ。
そこでこの事件だけは、警察はすすんでマスコミ関係者に情報を提供したし、裁判所は裁判所で、裁判記録を積極的にもらした。事件があそこまで有名になったのは、そんな事情があったのである。
阿部定と石田吉蔵の二人は、事件の五月一一日から、東京、荒川の「満左喜」という料亭に泊まっていた。風呂にも入らず、何も食べず、酒だけ飲んで、一日中セックスしていた。一度は芸者を呼んだが、二人は芸者のまえでクンニリングスやフェラチオをくりかえし、石田のものが立つと、そのまま性行為におよんだという。
お定によると、一六日の夜、石田と寝ていると、彼がどうしようもなくいとおしくなり、腰ひもを彼の首に巻きつけ、女性上位でセックスしながら、首を絞めたり緩めたりしていた。彼女に言わせると、首を絞めると陰茎がぴくぴくして、快感が高まるのだそうだ。
その後、ぐっすり寝込んだ石田の寝顔を見ていると、彼を誰にも渡したくないという気がつのってきた。ついに腰ひもを彼の首にまわすと、石田がパッと目を見開き、「お定!」と叫んでふるいついてきた。お定は彼の胸に顔を押しつけ、「許して!」とすすり泣きながら、ひもを持つ手に力をこめた。
石田自身も、いつか自分がお定に殺されることは覚悟していて、「絞めるときには途中でゆるめるなよ。あとが苦しいから」と言っていたという。
一八のときから芸者をしてきたお定は、それまでの男のなかで、もっともセックスのうまい石田に、夢中になってしまった。そのときから、いわばお定がサド、石田がマゾという、SM関係が始まったのである。
首を絞めたあと、お定は石田の左腕に自分の名をきざみ、彼の陰茎と陰のうを切りとり、死体や布団に血文字を書き残してから、料亭を逃亡した。石田を殺してしまうと、奇妙だが、何かほっとした気分になったという。
生きているとき以上に、石田のことがいとおしくなり、死体の陰部をいじったり、自分の局部に押しあてたりした。そのうちに、このままでは捕まるだけだと思い、一刻も早くここを逃げ出さねばと考えた。
どうせ死体を持っていくのが無理なら、せめて石田の陰茎を切りとって持っていきたい。大切なものを誰にも触らせたくなかったし、それがあれば、何処に行っても、彼と一緒のような気がして寂しくないと思ったのだ。
死体や布団に『定・吉、二人』と書いたのは、石田を殺したことで、彼が完全に自分のものになったことを、他人にも知ってほしかったから。そして石田の左腕に定と刻んだのは、石田の体に自分をつけてあの世に行ってもらいたかったからだという。
一八日の夜は品川の旅館に偽名を使って泊まったが、その夜は一晩中、石田のものを愛撫したりしゃぶったり、果ては横になって自分の局部に押し込んだりしたそうだ。
この事件では、ここまでしたのに、なぜ彼女が石田の陰部を食べてしまわなかったのかが、一つの謎になっている。詩人の深尾須磨子も、「あれほど高まった愛なのに、何か尻きれトンボのような感じがする」と書いている。
その後、お定は、尋問者に心の変化をこう述べている。警視庁にいるころは、石田のことを話すのが嬉しかったし、夜になって石田の夢を見ると、なんだか嬉しかった。けれど最近では、石田にすまないことをしてしまったと、後悔するようになった……。
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