私は日本に来て、たくさんの日本人の韓国論、韓国人の韓国論を読んだが、いずれにも、大きな不満を持ち続けて来た。日本人は韓国に遠慮して言いたいことを言わず、韓国人は日本人にいいところばかりを話し、決して肝心な問題点を語ろうとはしていないからである。私が難しい日本語と格闘しながらもこの本を書こうと思いたったのはそのためである。
かと言って、私は韓国論を書きたいわけではない。
私はたまたま日本で働く韓国人ホステスたちと親しくなり、彼女たちが背負う特異な生活と体験に深く接することになった——そこに韓国を根底から揺るがすことになるかもしれない、きわめて大きな問題が潜んでいるのを発見したこと。それが書きたいことのひとつである。
日本に住みついて八年、どんどん日本人っぽくなり、逆にしだいに韓国人らしさをなくしていくように思える私は、なぜそのように変化していったのか——それを語ることによって、日本人が自分自身ではほとんど気づいていない、意外な「日本の顔」を示してみたい。それがもうひとつの書きたいことである。とくにこれは、どうしても日本語で書くことによってしか表わすことができないと思われた。
この二つのことは、実際には切り離すことができない一つのもので、現在の私の心のあり方そのものでもある。したがって、まず、一人の韓国の女としての私が歩んで来た人生と、そこで体験することになった心の葛《かつ》藤《とう》を率直にお話ししていきたいと思う。その上で本文を読み進めていっていただければ、私の言葉たらずなところもより通じやすくなるだろうと思える。
かと言って、私は韓国論を書きたいわけではない。
私はたまたま日本で働く韓国人ホステスたちと親しくなり、彼女たちが背負う特異な生活と体験に深く接することになった——そこに韓国を根底から揺るがすことになるかもしれない、きわめて大きな問題が潜んでいるのを発見したこと。それが書きたいことのひとつである。
日本に住みついて八年、どんどん日本人っぽくなり、逆にしだいに韓国人らしさをなくしていくように思える私は、なぜそのように変化していったのか——それを語ることによって、日本人が自分自身ではほとんど気づいていない、意外な「日本の顔」を示してみたい。それがもうひとつの書きたいことである。とくにこれは、どうしても日本語で書くことによってしか表わすことができないと思われた。
この二つのことは、実際には切り離すことができない一つのもので、現在の私の心のあり方そのものでもある。したがって、まず、一人の韓国の女としての私が歩んで来た人生と、そこで体験することになった心の葛《かつ》藤《とう》を率直にお話ししていきたいと思う。その上で本文を読み進めていっていただければ、私の言葉たらずなところもより通じやすくなるだろうと思える。