数カ月の予定を終えて私は再び日本へ戻って来た。そして気分を一新した私は、今度はこちらから積極的に日本の生活に合わせていくんだと、自分自身に強く言い聞かせていた。
ヨーロッパでは、話をすればすぐに仲良くなって、互いに相手の住居に遊びに行ったり、食事を一緒につくって食べたりすることも多かったが、日本人との間にはなかなかそうしたつきあいが生まれない。どうつきあって行けばいいのか、その点での悩みにすぐにぶつかり、はやくも私の覚悟はくじけそうであった。
実際、日本人の友だち関係のあり方には、どうしても「ついて行けない」と思うことがしばしばであった。たとえばあるとき、友だちが財布をなくしたからと言ってお昼を食べないでいるので、私が「お金を貸しましょうか」と言ったところ、「借りても返せないからいいわ」と言われたことがある。それならと「ごちそうするから……」と言うと、「それは悪いわ」と断られてしまった。そのときから、私はお金を忘れて来てもなんだか日本人には「お金を貸して」とは言えなくなってしまった。
また、私がそれぞれを別々に知っている二人の日本人を引き合わせて紹介し、三人で食事をしたときのこと。食事を終えて支払いをする段になって、一人の日本人が何やらもう一人の日本人にコソコソと話をしている。明らかに、お金の持ち合わせがないから食事代を貸して欲しいと頼んでいるのだ。これには私も、腹をたてずにはいられなかった。
その日本人にとって相手の日本人は、今日はじめて会ったばかりなのであり、よく知り合っているのは私の方なのだ。それなのに、なぜ私にお金を借りようとしないのか。日本人にとって外国人は友だちではないのか。言いようのない怒りをおぼえながら、何気なくワリカンの支払いをする自分がなんだか情けなくて仕方がなかった。
外国人はお客さんだから迷惑をかけてはならないと遠慮し、同じ日本人なら身内だから多少甘えてもよいという心情が理解できなかった当時は、そうした態度をとる日本人は冷たい心の持ち主にしかみえなかった。
そのころ、私は大学へ行くかたわら日本の企業でアルバイトをしていたのだが、そこで日本のビジネスマンと接することになり、さらに日本人がわからなくなってしまった。彼らに「何のために仕事をしているのですか」と聞けば、「家族のためだ」とか「食べるためだ」とかしか答えが返ってこない。「夢は? 目的は?」と聞いても多くは笑ってごまかす。「社長になりたくないんですか?」と聞いても「なりたい」と言う者もいないし、有名になりたいと言う者もいない。そんな話を聞いているうちに、夢を持っている私が何か罪人のように思えてくるのだった。
人並み以上の経済力も社会的な地位も、ましてや権力も望まない人たちが懸命に働いている社会。しかも、そのことによって貧困をほぼ一掃することに成功した社会。その事実を目の前につきつけられて、私はそれまでまったく迷うことのなかった自らの人生観——夢を持って生き、その夢の実現へと向かうことで自分と社会を生かして行こうとする考えに、疑いの念を持たざるを得なくなっていったのである。
私は、それまでの夢を思い返してみるたびごとに、だんだんと、それがいかに安っぽいものだったかと感じさせられ、ついに小さいころから大事に抱えて来た「権力への夢」を失ってしまった。それと同時に激しい倦《けん》怠《たい》と無気力の感覚におそわれ、何をやる意欲もまったくなくなっていった。そうして笑うことすらできない状態に陥ってしまったのである。
しかし、日本人はテレビを見てゲラゲラとよく笑う。なぜ夢のない人たちが笑うことができるのか。私から笑いを奪った日本人が笑っている、いったいどういう人たちなのだろう……。何もかもがわからなくなってしまった。
すでに夢をなくした私は、もはや夢を語ることの好きな韓国人たちと話をして安らぐこともできない。日本人も嫌、韓国人も嫌、そして自分自身はなおさらのこと嫌になった。こんな状態が約二年続いた。その間、私はすこぶる病弱になり、何をしてもすぐに疲れ、またしばしば熱を出して寝込むようになっていた。
ヨーロッパでは、話をすればすぐに仲良くなって、互いに相手の住居に遊びに行ったり、食事を一緒につくって食べたりすることも多かったが、日本人との間にはなかなかそうしたつきあいが生まれない。どうつきあって行けばいいのか、その点での悩みにすぐにぶつかり、はやくも私の覚悟はくじけそうであった。
実際、日本人の友だち関係のあり方には、どうしても「ついて行けない」と思うことがしばしばであった。たとえばあるとき、友だちが財布をなくしたからと言ってお昼を食べないでいるので、私が「お金を貸しましょうか」と言ったところ、「借りても返せないからいいわ」と言われたことがある。それならと「ごちそうするから……」と言うと、「それは悪いわ」と断られてしまった。そのときから、私はお金を忘れて来てもなんだか日本人には「お金を貸して」とは言えなくなってしまった。
また、私がそれぞれを別々に知っている二人の日本人を引き合わせて紹介し、三人で食事をしたときのこと。食事を終えて支払いをする段になって、一人の日本人が何やらもう一人の日本人にコソコソと話をしている。明らかに、お金の持ち合わせがないから食事代を貸して欲しいと頼んでいるのだ。これには私も、腹をたてずにはいられなかった。
その日本人にとって相手の日本人は、今日はじめて会ったばかりなのであり、よく知り合っているのは私の方なのだ。それなのに、なぜ私にお金を借りようとしないのか。日本人にとって外国人は友だちではないのか。言いようのない怒りをおぼえながら、何気なくワリカンの支払いをする自分がなんだか情けなくて仕方がなかった。
外国人はお客さんだから迷惑をかけてはならないと遠慮し、同じ日本人なら身内だから多少甘えてもよいという心情が理解できなかった当時は、そうした態度をとる日本人は冷たい心の持ち主にしかみえなかった。
そのころ、私は大学へ行くかたわら日本の企業でアルバイトをしていたのだが、そこで日本のビジネスマンと接することになり、さらに日本人がわからなくなってしまった。彼らに「何のために仕事をしているのですか」と聞けば、「家族のためだ」とか「食べるためだ」とかしか答えが返ってこない。「夢は? 目的は?」と聞いても多くは笑ってごまかす。「社長になりたくないんですか?」と聞いても「なりたい」と言う者もいないし、有名になりたいと言う者もいない。そんな話を聞いているうちに、夢を持っている私が何か罪人のように思えてくるのだった。
人並み以上の経済力も社会的な地位も、ましてや権力も望まない人たちが懸命に働いている社会。しかも、そのことによって貧困をほぼ一掃することに成功した社会。その事実を目の前につきつけられて、私はそれまでまったく迷うことのなかった自らの人生観——夢を持って生き、その夢の実現へと向かうことで自分と社会を生かして行こうとする考えに、疑いの念を持たざるを得なくなっていったのである。
私は、それまでの夢を思い返してみるたびごとに、だんだんと、それがいかに安っぽいものだったかと感じさせられ、ついに小さいころから大事に抱えて来た「権力への夢」を失ってしまった。それと同時に激しい倦《けん》怠《たい》と無気力の感覚におそわれ、何をやる意欲もまったくなくなっていった。そうして笑うことすらできない状態に陥ってしまったのである。
しかし、日本人はテレビを見てゲラゲラとよく笑う。なぜ夢のない人たちが笑うことができるのか。私から笑いを奪った日本人が笑っている、いったいどういう人たちなのだろう……。何もかもがわからなくなってしまった。
すでに夢をなくした私は、もはや夢を語ることの好きな韓国人たちと話をして安らぐこともできない。日本人も嫌、韓国人も嫌、そして自分自身はなおさらのこと嫌になった。こんな状態が約二年続いた。その間、私はすこぶる病弱になり、何をしてもすぐに疲れ、またしばしば熱を出して寝込むようになっていた。