人間ならば誰にも、多かれ少なかれ、他人より上に出たいとする気持ちがあるものだ。しかし多くの民族では、それはストレートに表現されることなく、適当に抑制されているのではないだろうか。日本人はとくにそうだと思う。ところがわが韓国人にあっては、正直と言ったらいいのか、そうした気持ちがまるでセーブされることなく表わされ、しかも、それがきわめて強固な意志に支えられているのだ。
そこで韓国クラブの運営も、おのずとそうした韓国人の気質を核に行なわれることになる。
新入りのホステスたちが店に入って第一にママに願うことは、まずお金のある客を紹介して欲しいということである。韓国から来たばかりで、まだ日本の客を見る目がない彼女たちにとっては、ママを通じて紹介を受けた人なら安心してつき合うことができる。一方、ママの方は、この子はまだ新人だとお客に紹介し、その新鮮さを価値として売り込むことができる。ようするに、新人であれば、まだ愛人をもっていないだろうということで、お客に期待感を抱かせることができるのである。
そうして紹介したお客が新人ホステスの愛人になれば、ママは次にお客に対して、彼女にはもっとたくさん手当てをやらないと他にとられてしまうとか、マンションの一つも買ってやらなくては韓国の女を自分のものにすることはできないとか、さかんに援護射撃をすることを忘れない。そうしてホステスたちは、自分のプライドを名実ともに守ることができるわけだが、その結果ママには頭が上がらないことになる。そこでママは、はじめて店の権力者であることができるのである。
ある程度ホステス生活に慣れてくると、次には自分で自分のお客を、つまり愛人をつくることへと向かってゆく。常連の中に、まだホステスと愛人関係にはない人を探すのである。こうして、韓国クラブでは、お客は店のお客からしだいに一人の女性へのお客へと変わってゆく。もちろん、自分のお客の多さは給料に影響するし、また毎月公表されるので、すこぶる彼女たちのプライドにかかわる問題でもあるのだ。
ともかくも、韓国クラブのお客は彼女たち一人一人のお客とみなされる。したがって、当のホステスの許しがない限り、他のホステスはお酒の相手をすることはもちろん、同席することすらできない。それはそのお客が連れてきた男性についても同じことになる。彼女の愛人が連れてきたのだから、彼女のお客として迎えられなければならない。それが韓国クラブのきまりなのだ。この点については、ママはいっさい行使することのできる権力をもっていない。
そこで韓国クラブの運営も、おのずとそうした韓国人の気質を核に行なわれることになる。
新入りのホステスたちが店に入って第一にママに願うことは、まずお金のある客を紹介して欲しいということである。韓国から来たばかりで、まだ日本の客を見る目がない彼女たちにとっては、ママを通じて紹介を受けた人なら安心してつき合うことができる。一方、ママの方は、この子はまだ新人だとお客に紹介し、その新鮮さを価値として売り込むことができる。ようするに、新人であれば、まだ愛人をもっていないだろうということで、お客に期待感を抱かせることができるのである。
そうして紹介したお客が新人ホステスの愛人になれば、ママは次にお客に対して、彼女にはもっとたくさん手当てをやらないと他にとられてしまうとか、マンションの一つも買ってやらなくては韓国の女を自分のものにすることはできないとか、さかんに援護射撃をすることを忘れない。そうしてホステスたちは、自分のプライドを名実ともに守ることができるわけだが、その結果ママには頭が上がらないことになる。そこでママは、はじめて店の権力者であることができるのである。
ある程度ホステス生活に慣れてくると、次には自分で自分のお客を、つまり愛人をつくることへと向かってゆく。常連の中に、まだホステスと愛人関係にはない人を探すのである。こうして、韓国クラブでは、お客は店のお客からしだいに一人の女性へのお客へと変わってゆく。もちろん、自分のお客の多さは給料に影響するし、また毎月公表されるので、すこぶる彼女たちのプライドにかかわる問題でもあるのだ。
ともかくも、韓国クラブのお客は彼女たち一人一人のお客とみなされる。したがって、当のホステスの許しがない限り、他のホステスはお酒の相手をすることはもちろん、同席することすらできない。それはそのお客が連れてきた男性についても同じことになる。彼女の愛人が連れてきたのだから、彼女のお客として迎えられなければならない。それが韓国クラブのきまりなのだ。この点については、ママはいっさい行使することのできる権力をもっていない。