韓国人ホステスたちは、美人であることは男にとっての仕事と同じように、それなりの報酬を受けて当然のことだと考える。したがって、男が美人にそれなりのサービスをするのは当然であり、自分が美人であれば、愛人となる男はそれだけ高級な生活を自分に約束できる者でなくてはならないと考える。
彼女たちがそう考えるのは、およそ生まれついた自然の特徴でしか女が評価されない社会の問題である。そうした評価が社会にある限り、彼女たちの考えも変わることはない。そして、そうした社会の背景には、李《り》氏《し》朝鮮以来のキーセンの伝統がある。下の階級の子弟に美人があれば、キーセンに仕立ててヤンバン(両班=家柄のある上層富裕階級)の妾《めかけ》とする。これが伝統的な美人の出世の形であった。彼女たちが美人、愛人、出世という人生観を当然のごとく考えているところには、そうしたキーセンの伝統をおいてみなくてはならない。
彼女たちは現代日本にヤンバンを求めてやって来た。しかしながら、多極化、多層化の進む日本社会では、美人ホステスがその愛人へのパスポートであるような状態は崩れてきている。日本の都市社会のセクシャリティは韓国より数段複雑である。
たとえば、最近、韓国人ホステスの間でしきりに話題になるのは、このごろの東京の男たちはケチになったということ、そして、地方の中年以上の男性の方がよくお金を使うということである。そのため、地方にお金を使ってくれる男を求めて出かける女たちも多くなっている。とくに年を経たベテランホステスたちは、若い女たちには人気のない、田舎の地主層を狙《ねら》おうとする傾向が強い。彼女たちに言わせれば、そうした人はほんのちょっとやさしい言葉をかけてあげるだけで口《く》説《ど》けるし、また都会の男より使えるお金をたくさん持っているから、ということのようだ。
もちろん、東京の男たちが突然にケチになったわけではないのだ。ほんとうのことを言えば、最初は珍しいこともあって韓国人の美人ホステスに人気があったものの、日本の男たちは、彼女たちに当然のごとくお金を使わせられることに、しだいにバカバカしさを感じるようになったというのが正直なところだろう。そこで、さらにお金を使う人を、ということで行きあたったのが、田舎の中年以上の男性、というわけなのだ。
もっとも、彼女たちはお金のために我慢してそうしているのかと言えば、決してそうではい。そこにも奇妙な需要と供給のバランスが成り立っているのである。
それは一つには、ホステスに限ることなく、韓国の女性が自分よりかなり年上の、いわば完成された男性を好むからである。その点では日本の若い男性には隙《すき》間《ま》が多すぎ、韓国女性を充分満足させることは難しい。韓国では、男は六十代になってようやく魅力が出るものだということが、女性たちの間ではしばしば口に出される。一方、日本の男性は、とくに中年以上の男性ほど、また都会的でない男性ほど、男を立て男に優しい女性を強く求めており、彼らをして、日本にはそうした女性が少なくなったと嘆かせている現状がある。
韓国では考えられないことだが、日本人の男性と結婚した私の友人は、彼は二十歳以上も年上であるにもかかわらず、自分に甘えるような接し方をすると言っていた。女性に母性を求める日本人男性がいる。そして男性に父性を求める韓国人女性がいる。そこで両国の男女の結婚が幸福となるのはすてきなことだ。
そのことを、地方に新たなヤンバンを求める韓国人ホステスたちはどう考えるのだろうか。
彼女たちがそう考えるのは、およそ生まれついた自然の特徴でしか女が評価されない社会の問題である。そうした評価が社会にある限り、彼女たちの考えも変わることはない。そして、そうした社会の背景には、李《り》氏《し》朝鮮以来のキーセンの伝統がある。下の階級の子弟に美人があれば、キーセンに仕立ててヤンバン(両班=家柄のある上層富裕階級)の妾《めかけ》とする。これが伝統的な美人の出世の形であった。彼女たちが美人、愛人、出世という人生観を当然のごとく考えているところには、そうしたキーセンの伝統をおいてみなくてはならない。
彼女たちは現代日本にヤンバンを求めてやって来た。しかしながら、多極化、多層化の進む日本社会では、美人ホステスがその愛人へのパスポートであるような状態は崩れてきている。日本の都市社会のセクシャリティは韓国より数段複雑である。
たとえば、最近、韓国人ホステスの間でしきりに話題になるのは、このごろの東京の男たちはケチになったということ、そして、地方の中年以上の男性の方がよくお金を使うということである。そのため、地方にお金を使ってくれる男を求めて出かける女たちも多くなっている。とくに年を経たベテランホステスたちは、若い女たちには人気のない、田舎の地主層を狙《ねら》おうとする傾向が強い。彼女たちに言わせれば、そうした人はほんのちょっとやさしい言葉をかけてあげるだけで口《く》説《ど》けるし、また都会の男より使えるお金をたくさん持っているから、ということのようだ。
もちろん、東京の男たちが突然にケチになったわけではないのだ。ほんとうのことを言えば、最初は珍しいこともあって韓国人の美人ホステスに人気があったものの、日本の男たちは、彼女たちに当然のごとくお金を使わせられることに、しだいにバカバカしさを感じるようになったというのが正直なところだろう。そこで、さらにお金を使う人を、ということで行きあたったのが、田舎の中年以上の男性、というわけなのだ。
もっとも、彼女たちはお金のために我慢してそうしているのかと言えば、決してそうではい。そこにも奇妙な需要と供給のバランスが成り立っているのである。
それは一つには、ホステスに限ることなく、韓国の女性が自分よりかなり年上の、いわば完成された男性を好むからである。その点では日本の若い男性には隙《すき》間《ま》が多すぎ、韓国女性を充分満足させることは難しい。韓国では、男は六十代になってようやく魅力が出るものだということが、女性たちの間ではしばしば口に出される。一方、日本の男性は、とくに中年以上の男性ほど、また都会的でない男性ほど、男を立て男に優しい女性を強く求めており、彼らをして、日本にはそうした女性が少なくなったと嘆かせている現状がある。
韓国では考えられないことだが、日本人の男性と結婚した私の友人は、彼は二十歳以上も年上であるにもかかわらず、自分に甘えるような接し方をすると言っていた。女性に母性を求める日本人男性がいる。そして男性に父性を求める韓国人女性がいる。そこで両国の男女の結婚が幸福となるのはすてきなことだ。
そのことを、地方に新たなヤンバンを求める韓国人ホステスたちはどう考えるのだろうか。