韓国人の二面的な心情は、ホステスという職業についてだけではなく、学問をする女性についても言えることだ。女子大生があこがれの的であり、大学崇拝主義とも言うべきものがある一方で、勉強は不美人がするもの、不美人だから勉強の方でがんばろうとしているんだというある種の蔑《べつ》視《し》があり、この二つが一人の人間の意識の中に共存している。
日本ではことのほか中年の男性に女子大生が好まれる。したがって、韓国クラブでも女子留学生ということだけで人気の的になってしまう。日本の男性はなぜか彼女たちには他のホステス以上にお金を使う。そのため、女子大生ホステスの方が一般のホステスよりも給料が高いことも珍しくない。店としては、彼女たちの存在にはそれだけのメリットがあるのだ。そこで、女子大生ホステスたちが店に頼まれて同じ女子大生を勧誘する。そのときの誘い文句は、たとえば、こうである。
「わざわざ日本に来ているのに、なんで稼がないの? チャンスじゃない」
ようするに、日本という国は韓国の一般人にとっては、まず第一に「稼ぐ場所」とみなされているのである。私自身、同じ言葉をたびたび聞かされている。国に帰った折りに、日本に留学していると言えば、必ず返ってくる言葉はこうである。
「まあ、ずいぶん稼いだんでしょうね」
私は単に一介の留学生にすぎないし、たいした仕事をしているわけでもないから収入はたかが知れていると言うと、
「あなた、何のために日本に行ってるの?」
と、唖《あ》然《ぜん》とした顔をされるのだ。
これは決して、彼女がわかっていながら私にいやみを言ったという話なのではない。日本で女が勉強することが、そのまま正直な本人の意図だとは考えようもないところに、韓国社会のさまざまな問題点がはさみこまれている。
一般の韓国人にとって、日本で生活することは少なくとも前向きな人生ではない。韓国では甲《か》斐《い》性《しよう》がないから、稼ぐ能力がないから、いわば食いつめたからこそ行く場が日本なのだ。だから、「日本で勉強しています」では回答にならないのである。国で「甲斐性がない」からこそ日本へ行っているはずなのに、そこでも稼げないとは、なんとダメなやつなんだろうというのが、私のような存在に向けられる、韓国人一般の理解だと言ってよいだろう。実際、国へ帰れば親《しん》戚《せき》の者たちから、常に口うるさく言われることなのである。
日本ではことのほか中年の男性に女子大生が好まれる。したがって、韓国クラブでも女子留学生ということだけで人気の的になってしまう。日本の男性はなぜか彼女たちには他のホステス以上にお金を使う。そのため、女子大生ホステスの方が一般のホステスよりも給料が高いことも珍しくない。店としては、彼女たちの存在にはそれだけのメリットがあるのだ。そこで、女子大生ホステスたちが店に頼まれて同じ女子大生を勧誘する。そのときの誘い文句は、たとえば、こうである。
「わざわざ日本に来ているのに、なんで稼がないの? チャンスじゃない」
ようするに、日本という国は韓国の一般人にとっては、まず第一に「稼ぐ場所」とみなされているのである。私自身、同じ言葉をたびたび聞かされている。国に帰った折りに、日本に留学していると言えば、必ず返ってくる言葉はこうである。
「まあ、ずいぶん稼いだんでしょうね」
私は単に一介の留学生にすぎないし、たいした仕事をしているわけでもないから収入はたかが知れていると言うと、
「あなた、何のために日本に行ってるの?」
と、唖《あ》然《ぜん》とした顔をされるのだ。
これは決して、彼女がわかっていながら私にいやみを言ったという話なのではない。日本で女が勉強することが、そのまま正直な本人の意図だとは考えようもないところに、韓国社会のさまざまな問題点がはさみこまれている。
一般の韓国人にとって、日本で生活することは少なくとも前向きな人生ではない。韓国では甲《か》斐《い》性《しよう》がないから、稼ぐ能力がないから、いわば食いつめたからこそ行く場が日本なのだ。だから、「日本で勉強しています」では回答にならないのである。国で「甲斐性がない」からこそ日本へ行っているはずなのに、そこでも稼げないとは、なんとダメなやつなんだろうというのが、私のような存在に向けられる、韓国人一般の理解だと言ってよいだろう。実際、国へ帰れば親《しん》戚《せき》の者たちから、常に口うるさく言われることなのである。