ホステスとなり、また日本人男性の愛人となっている女子留学生を、私は直接に何人も知っている。また、人づてに聞かされることもたびたびである。そうなってくると、私のような存在の方が珍しいのではないかとも思えてきてしまうのである。
ここで私の知る二人の女子留学生の話をしてみよう。
あるとき、日本への飛行機の中で隣り合わせになったことがきっかけで、仲よくなった女子留学生がいた。しばらくつきあいがなかったのだが、三年ぶりで彼女から連絡があり、久しぶりに新宿歌舞伎町のある喫茶店で再会した。
当時、デザインを専攻していると私に語った彼女は、夢見るような愛くるしさを満面にたたえた少女だった。三年ぶりに会った彼女の顔は、充分に成熟した女の魅力を備え、またそれをちゃんと自覚している者のそれであることがすぐに見てとれた。
「さすがに大人っぽくなったわね」
と私から話しかけると、「そうね」と言うや、彼女は素早い口調で独白をはじめた。
彼女は卒業とともに韓国へ帰ったのだが、まるで就職口がなかった。どんなに実力があっても就職できないし、また歳《とし》をとればとるほど身のおきどころがなくなっていく、それに「日本帰り」には何ら価値がないどころかかえって軽《けい》蔑《べつ》される……。母国での体験の不《ふ》条《じよう》理《り》が、乾《かわ》いた平《へい》坦《たん》なトーンで語られる。
「大学を出たという資格があるだけの話なのよ。それがまるでお金に結びつかないわけ。デザインは好きだけど生活できなくちゃどうしようもないわね。日本帰りが韓国で生きていくには、なんといってもお店の一つでも持てるくらいじゃないとやっていけないわ。お金がなくちゃだめなのよ。だから酒場で働く気になったの。それだったら日本で働く方がずっと収入がいいから、また日本へ舞い戻ってきたというわけ。私ね、お店ではナンバーワンなのよ。ママもね、私のことを一番大事にしてくれるの」
そう言って上手にウィンクをしてみせる彼女の顔は、確かな満足を表していた。
「でもね、もう韓国へは帰らないわ。あの国へは帰りたくない。愛人がいるのよ、日本の男性だけど、気前がよくて優しいわ。あの人と一緒にずっと日本で暮らしたいわ」
豊満な女の横顔の奥には、ほんとうにあどけない少女の顔が依然として宿っていた。
もう一人、次にお話ししようと思う女子留学生は、私が韓国で妹のように可愛《かわい》がっていた後輩である。
ある日街を歩いていると、後ろから「オンニ(お姉さん)」と呼ぶ、懐かしい声がきこえた。ふり返ってみると、そこに彼女がいた。彼女は韓国の古典舞踊の一流の踊り手で、小さいころから名手の名をほしいままにしてきた。その彼女がいま、日本に留学中だという。
私は韓国に帰るたびに彼女とは連絡をとるようにしていた。それがここ数年音信不通になっていたのだが、まさか彼女が日本にいるとは知らなかった。日本にいるのならばなぜ連絡してくれないのか、いろいろと助けてあげることもできるだろうにと、一瞬腹立たしさを感じたのだがすぐに思い直していた。というのは、才能のある彼女のことだから、それなりに芸術家方面からの充分なバックアップもあり、生活の苦労をすることもなしに踊りの腕を磨いているのだろうと思ったからである。彼女の母親も、彼女のために英才教育の労を惜しむことなく、まるで宝もののように育てていた。
「どうしてるの?」
と歩きながら聞くと、思いもかけない答えが返ってきた。
「いまね、前にホステスをしてたときのお客さんに、とてもよくしてもらっているのよ」
めまいに似た感覚と熱いものが込み上げてくる感覚に言葉がつまり、私は無言のまま彼女を連れて近くの喫茶店に入った。
私がどのような思いでいるかが、まるで伝わっていないことが明白な彼女の明るい顔。なぜそんなにもあどけないままでいられるのだろう?
「日本に来て一年くらいホステスしていたの。で、お客さんのなかで私をとっても可愛がってくれる人がいたのね。その人がホステスはやめろって言うの。だからいまは学校に通うだけなんだけど……。ねえ、一度私のマンションに来てよ。その人が買ってくれたんだけど、とっても広いのよ。その人のおかげでね、これまでみたいに学費とか生活費とか心配することがなくなって、いまはほんとに幸せに暮らしてるわ。だからオンニに心配かけることは何もない」
なぜ私はこうした話を聞くたびに悲しくなるのだろう。なぜ本人が幸せそうにしているのに心から喜んでやれないのだろう——。いや、ほんとうの幸せなんてそんなものではないはずだ。宝石のように、たかが自然な美形が珍重されているだけではないか——。心情、倫理、幸福、女……それらをめぐる意識が頭のなかでショートし、まるで壊れたネオンサインのようにジージーと音をたてているようだ。
彼女は私が黙っているので手もちぶさたなのだろう、きれいな緑色の石のついた指輪をくるくるともてあそんでいる。ヒスイだろうか、エメラルドだろうか。それまでは気がつかなかったけれども、よく見るとブラウスもスカーフも、その素材とデザインは大胆でしかも上質なものである。どんな男がこの子を、という興味が頭をもたげて聞いてみると、六十歳近い既婚者だという。彼女は確か二一、二歳だった。
「どんな人って……そうねえ、週に一回はマンションに来てくれるの。とても優しくしてくれるのよ。ねえ、日本の男の人ってほんとうに優しいのね。そうでしょう? 私、卒業したら韓国に帰るつもりだったけど、何となく気が進まなくなっちゃったなあ。それでね、できたら日本で就職したいと思うんだけど、どうかしら?」
なぜ、あなたはそうなってしまったの?
もし私がそう言ったとしても、会話にならないことははっきりしている。彼女は手に入れたいまの生活に微《み》塵《じん》も疑問をもってはいないのだ。それがまた彼女一人のことではないだけに、私はそれ以上話を進めるべき言葉を失ってしまう。
ここで私の知る二人の女子留学生の話をしてみよう。
あるとき、日本への飛行機の中で隣り合わせになったことがきっかけで、仲よくなった女子留学生がいた。しばらくつきあいがなかったのだが、三年ぶりで彼女から連絡があり、久しぶりに新宿歌舞伎町のある喫茶店で再会した。
当時、デザインを専攻していると私に語った彼女は、夢見るような愛くるしさを満面にたたえた少女だった。三年ぶりに会った彼女の顔は、充分に成熟した女の魅力を備え、またそれをちゃんと自覚している者のそれであることがすぐに見てとれた。
「さすがに大人っぽくなったわね」
と私から話しかけると、「そうね」と言うや、彼女は素早い口調で独白をはじめた。
彼女は卒業とともに韓国へ帰ったのだが、まるで就職口がなかった。どんなに実力があっても就職できないし、また歳《とし》をとればとるほど身のおきどころがなくなっていく、それに「日本帰り」には何ら価値がないどころかかえって軽《けい》蔑《べつ》される……。母国での体験の不《ふ》条《じよう》理《り》が、乾《かわ》いた平《へい》坦《たん》なトーンで語られる。
「大学を出たという資格があるだけの話なのよ。それがまるでお金に結びつかないわけ。デザインは好きだけど生活できなくちゃどうしようもないわね。日本帰りが韓国で生きていくには、なんといってもお店の一つでも持てるくらいじゃないとやっていけないわ。お金がなくちゃだめなのよ。だから酒場で働く気になったの。それだったら日本で働く方がずっと収入がいいから、また日本へ舞い戻ってきたというわけ。私ね、お店ではナンバーワンなのよ。ママもね、私のことを一番大事にしてくれるの」
そう言って上手にウィンクをしてみせる彼女の顔は、確かな満足を表していた。
「でもね、もう韓国へは帰らないわ。あの国へは帰りたくない。愛人がいるのよ、日本の男性だけど、気前がよくて優しいわ。あの人と一緒にずっと日本で暮らしたいわ」
豊満な女の横顔の奥には、ほんとうにあどけない少女の顔が依然として宿っていた。
もう一人、次にお話ししようと思う女子留学生は、私が韓国で妹のように可愛《かわい》がっていた後輩である。
ある日街を歩いていると、後ろから「オンニ(お姉さん)」と呼ぶ、懐かしい声がきこえた。ふり返ってみると、そこに彼女がいた。彼女は韓国の古典舞踊の一流の踊り手で、小さいころから名手の名をほしいままにしてきた。その彼女がいま、日本に留学中だという。
私は韓国に帰るたびに彼女とは連絡をとるようにしていた。それがここ数年音信不通になっていたのだが、まさか彼女が日本にいるとは知らなかった。日本にいるのならばなぜ連絡してくれないのか、いろいろと助けてあげることもできるだろうにと、一瞬腹立たしさを感じたのだがすぐに思い直していた。というのは、才能のある彼女のことだから、それなりに芸術家方面からの充分なバックアップもあり、生活の苦労をすることもなしに踊りの腕を磨いているのだろうと思ったからである。彼女の母親も、彼女のために英才教育の労を惜しむことなく、まるで宝もののように育てていた。
「どうしてるの?」
と歩きながら聞くと、思いもかけない答えが返ってきた。
「いまね、前にホステスをしてたときのお客さんに、とてもよくしてもらっているのよ」
めまいに似た感覚と熱いものが込み上げてくる感覚に言葉がつまり、私は無言のまま彼女を連れて近くの喫茶店に入った。
私がどのような思いでいるかが、まるで伝わっていないことが明白な彼女の明るい顔。なぜそんなにもあどけないままでいられるのだろう?
「日本に来て一年くらいホステスしていたの。で、お客さんのなかで私をとっても可愛がってくれる人がいたのね。その人がホステスはやめろって言うの。だからいまは学校に通うだけなんだけど……。ねえ、一度私のマンションに来てよ。その人が買ってくれたんだけど、とっても広いのよ。その人のおかげでね、これまでみたいに学費とか生活費とか心配することがなくなって、いまはほんとに幸せに暮らしてるわ。だからオンニに心配かけることは何もない」
なぜ私はこうした話を聞くたびに悲しくなるのだろう。なぜ本人が幸せそうにしているのに心から喜んでやれないのだろう——。いや、ほんとうの幸せなんてそんなものではないはずだ。宝石のように、たかが自然な美形が珍重されているだけではないか——。心情、倫理、幸福、女……それらをめぐる意識が頭のなかでショートし、まるで壊れたネオンサインのようにジージーと音をたてているようだ。
彼女は私が黙っているので手もちぶさたなのだろう、きれいな緑色の石のついた指輪をくるくるともてあそんでいる。ヒスイだろうか、エメラルドだろうか。それまでは気がつかなかったけれども、よく見るとブラウスもスカーフも、その素材とデザインは大胆でしかも上質なものである。どんな男がこの子を、という興味が頭をもたげて聞いてみると、六十歳近い既婚者だという。彼女は確か二一、二歳だった。
「どんな人って……そうねえ、週に一回はマンションに来てくれるの。とても優しくしてくれるのよ。ねえ、日本の男の人ってほんとうに優しいのね。そうでしょう? 私、卒業したら韓国に帰るつもりだったけど、何となく気が進まなくなっちゃったなあ。それでね、できたら日本で就職したいと思うんだけど、どうかしら?」
なぜ、あなたはそうなってしまったの?
もし私がそう言ったとしても、会話にならないことははっきりしている。彼女は手に入れたいまの生活に微《み》塵《じん》も疑問をもってはいないのだ。それがまた彼女一人のことではないだけに、私はそれ以上話を進めるべき言葉を失ってしまう。