ホステスになる韓国の女たちのほとんどが、結婚、つまり正当なものではあるが不自由な結婚を放棄し、愛人になろうとしている。しかし、それが彼女たちの最終的な目的ではない。彼女たちが最後に求めるのは出産である。愛人を得てその経済力に頼って生きようとする女たちは、一様にその男の子供を産みたいと考えている。ここがまた、日本人には理解し難いところであるかもしれない。
韓国の世代間の倫理で最も守るべきとされているのが親孝行である。それはもちろん、単に心情的なことだけではなく、形をもって表す親孝行が重視される。年老いた両親、たとえば六十歳を越えた親を働かせている子供はもってのほかである。親に贅沢をさせ、箸《はし》の上げ下げ一つにも気を遣い力をつくすことが、子供にとっては義務であり、またそれが親への愛のあり方なのである。韓国人にとって「子は宝」であるのは、単にみずからの慈《いつく》しみの対象であるばかりではなく、将来、親に豊かな生活を約束すべき財産そのものでもあるからなのだ。
これは韓国人のリアリズムをよく表現していることだが、子供とは文字通り愛の結晶だと考える。心のなかの目に見えない愛ではなく、愛の証拠そのものが子供なのだ。韓国では、「結婚して下さい」よりも「ぼくの子供を産んで下さい」の方が、より強い愛の表現であり、女性も愛する人からはまずその言葉を聞きたいと思うのが一般的である。
したがって、結婚を考えない韓国人ホステスでも、子供だけは産みたいと考える。そうすれば、愛人が自分を見放すこともないだろうし、愛人の死後も子供名義の財産分与をしてくれるだろうと期待するのである。実際、子供を産んだために、愛人が亡くなったあとも商売の元手を得て韓国でクラブや喫茶店を開いた女性を、私は数人ほど知っている。
ある女性は四十歳のときに一〇年間つきあっていた韓国の男の子供を産んだ。そのとき男はすでに六十代の後半だったが、年老いてできた子供をたいそう可愛《かわい》がり、家族には内緒で生前から財産の一部を分与することを約束していたという。そして男が亡くなってみると、それが現実となり、いまは彼女は韓国でビルなどの不動産を所有して悠《ゆう》々《ゆう》自《じ》適《てき》の生活を送っている。
また、ある女性は二七歳のときに六十歳近い日本で知り合った韓国人の男の子供を産んだ。その後、男の商売が危うくなって彼女を養うことが難しくなったのだったが、男は子供のために二〇〇〇万円を確保してくれた。彼女は帰国してそのお金で韓国に喫茶店を開いた。男はその三年後に亡くなったというが、彼女はまだ若い。しかし、もはや男には興味がないという。「どうしてなの?」と聞くと、彼女は当然だという顔をしてこう言っていた。
「だって子供がいるのよ。それ以外に何が必要なの? なぜ結婚しないのかですって? 何のためにしなきゃいけないの?」
相手が韓国の男ならば、まず子供を産んでしまえば将来が約束されたと考えてもいいわけだが、これが日本の男となるとそうはいかないケースが多い。
二九歳で日本にやって来てすぐに、四五歳の不動産関係の仕事をする日本人の愛人になった女性がいる。マンションも買ってもらい、月々の手当ても充分もらえたので、韓国クラブに勤めはじめて数カ月でホステスの仕事をやめ、男に頼る生活をはじめた。そして一年後に彼女は妊娠したのである。
当然、大喜びされると思って男に報告すると、男はどうにも苦虫をかみつぶしたような顔をしている。彼女は不安にかられたが、子供を産んでしまえばより絆《きずな》が深まるはずだと考えて子供を産む決心を固めた。ところが、子供ができるとそれまで優しかった男の態度は、一変して冷淡なものとなっていった。仕事がうまくいかないからと、生活費も減らされてしまう。彼女には男の変心の理由がまったくわからないながらも、言うべきことは言っておこうと、男の所有するビルのひとつも子供のために分けてもらいたいと要求した。ところが男は、「とんでもない、何をあつかましいことを言う」とまったくとりあってくれなかったのだった。
韓国の常識が日本では通用しないことを悟るしかなかった。そして最近、生活費の支給がぷっつりと切られたという。マンションこそ自分のものになったが、毎日の生活にことかく状態になってしまったのである。
「子供がいなければまたホステスでもするんだけどね……」
三十歳をすぎて、しかも未婚の母である韓国の女。韓国に戻ってもまわりから疎《うと》んじられ、さらにまともな仕事がないことははっきりしている。子供をあずけてでもホステスに復帰するしかないだろうと思えた。
韓国の世代間の倫理で最も守るべきとされているのが親孝行である。それはもちろん、単に心情的なことだけではなく、形をもって表す親孝行が重視される。年老いた両親、たとえば六十歳を越えた親を働かせている子供はもってのほかである。親に贅沢をさせ、箸《はし》の上げ下げ一つにも気を遣い力をつくすことが、子供にとっては義務であり、またそれが親への愛のあり方なのである。韓国人にとって「子は宝」であるのは、単にみずからの慈《いつく》しみの対象であるばかりではなく、将来、親に豊かな生活を約束すべき財産そのものでもあるからなのだ。
これは韓国人のリアリズムをよく表現していることだが、子供とは文字通り愛の結晶だと考える。心のなかの目に見えない愛ではなく、愛の証拠そのものが子供なのだ。韓国では、「結婚して下さい」よりも「ぼくの子供を産んで下さい」の方が、より強い愛の表現であり、女性も愛する人からはまずその言葉を聞きたいと思うのが一般的である。
したがって、結婚を考えない韓国人ホステスでも、子供だけは産みたいと考える。そうすれば、愛人が自分を見放すこともないだろうし、愛人の死後も子供名義の財産分与をしてくれるだろうと期待するのである。実際、子供を産んだために、愛人が亡くなったあとも商売の元手を得て韓国でクラブや喫茶店を開いた女性を、私は数人ほど知っている。
ある女性は四十歳のときに一〇年間つきあっていた韓国の男の子供を産んだ。そのとき男はすでに六十代の後半だったが、年老いてできた子供をたいそう可愛《かわい》がり、家族には内緒で生前から財産の一部を分与することを約束していたという。そして男が亡くなってみると、それが現実となり、いまは彼女は韓国でビルなどの不動産を所有して悠《ゆう》々《ゆう》自《じ》適《てき》の生活を送っている。
また、ある女性は二七歳のときに六十歳近い日本で知り合った韓国人の男の子供を産んだ。その後、男の商売が危うくなって彼女を養うことが難しくなったのだったが、男は子供のために二〇〇〇万円を確保してくれた。彼女は帰国してそのお金で韓国に喫茶店を開いた。男はその三年後に亡くなったというが、彼女はまだ若い。しかし、もはや男には興味がないという。「どうしてなの?」と聞くと、彼女は当然だという顔をしてこう言っていた。
「だって子供がいるのよ。それ以外に何が必要なの? なぜ結婚しないのかですって? 何のためにしなきゃいけないの?」
相手が韓国の男ならば、まず子供を産んでしまえば将来が約束されたと考えてもいいわけだが、これが日本の男となるとそうはいかないケースが多い。
二九歳で日本にやって来てすぐに、四五歳の不動産関係の仕事をする日本人の愛人になった女性がいる。マンションも買ってもらい、月々の手当ても充分もらえたので、韓国クラブに勤めはじめて数カ月でホステスの仕事をやめ、男に頼る生活をはじめた。そして一年後に彼女は妊娠したのである。
当然、大喜びされると思って男に報告すると、男はどうにも苦虫をかみつぶしたような顔をしている。彼女は不安にかられたが、子供を産んでしまえばより絆《きずな》が深まるはずだと考えて子供を産む決心を固めた。ところが、子供ができるとそれまで優しかった男の態度は、一変して冷淡なものとなっていった。仕事がうまくいかないからと、生活費も減らされてしまう。彼女には男の変心の理由がまったくわからないながらも、言うべきことは言っておこうと、男の所有するビルのひとつも子供のために分けてもらいたいと要求した。ところが男は、「とんでもない、何をあつかましいことを言う」とまったくとりあってくれなかったのだった。
韓国の常識が日本では通用しないことを悟るしかなかった。そして最近、生活費の支給がぷっつりと切られたという。マンションこそ自分のものになったが、毎日の生活にことかく状態になってしまったのである。
「子供がいなければまたホステスでもするんだけどね……」
三十歳をすぎて、しかも未婚の母である韓国の女。韓国に戻ってもまわりから疎《うと》んじられ、さらにまともな仕事がないことははっきりしている。子供をあずけてでもホステスに復帰するしかないだろうと思えた。