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スカートの風41

时间: 2020-07-26    进入日语论坛
核心提示:ママさんハウスで成功した女 日本に来て六カ月だというホステスと話をしていたら、彼女は韓国でママさんハウスにいたことがある
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ママさんハウスで成功した女

 日本に来て六カ月だというホステスと話をしていたら、彼女は韓国でママさんハウスにいたことがあると言う。話を聞いてみると、彼女はまるで典型を絵に描《か》くようにして水商売の女への道を歩み、そしてかなりの成功を収めたタイプだった。
彼女は全羅道《チヨンラド》の出身。田舎の中学を出て家の手伝いをしていた。一家は貧しかったが、両親は弟をなんとか高校に入れたいと望んでいた。そうした家庭の事情を受けて、彼女はソウルに出て工場に勤めたのだったが、まもなく先輩の口車に乗ってママさんハウスに身をおくようになっていった。
彼女のその美しい顔立ちのせいだろう。次から次へと上等のお客がついていった。そして二、三カ月後には日本人の愛人を獲得し、一九〇〇万ウォン(三八〇万円)のマンションをプレゼントしてもらった。それが三年前のこと、いま(一九九〇年)ではそのマンションは九〇〇〇万ウォン(一八〇〇万円)になっているという。
日本人の愛人は一カ月に一回韓国にやって来るのだが、そのときには必ず連絡してくる。彼女は普段はママさんハウスにいて、マンションには家政婦をおいて電話の番をさせておき、愛人から電話があれば家政婦から連絡を受けて出かけていくのである。
彼女はすでに充分なお得意のお客さんを持つようになったので、一年三カ月ほどでママさんハウスをやめ、自分のマンションで商売をするようになった。そうして彼女は一カ月に四〇〇万ウォン(八〇万円)から五〇〇万ウォン(一〇〇万円)を稼ぐことができるようになった。
故郷へは、ソウルで偶然に会った人がいろいろと助けてくれているからと言って、家族のために家まで買ってあげた。ソウルで高級自家用車を乗り回し、洗濯なんてやったことがないと言う彼女は、大企業の部長クラスの家族よりも数段豊かな暮らしをしている。ちなみに、ソウルの大手企業の部長クラスの給料は七〇万円から九〇万円ほど。
彼女が日本へやって来たのはほんの好奇心からだった。そして来てみて、彼女は日本人があまりにもケチなことに驚いたという。だって、そうでしょう? と言って、彼女なりの印象をこう語った。
「お金を払うのにね、十円玉から百円玉までポケットから引っ張り出して数えてるじゃない? あれが男なの? なんて心がせまいのかしら、私はもう韓国へ帰るわ。日本にいてもつまんないもの」
いかにも世間を知ったかのような口ぶりが、とんとん拍子に成功した者の天《てん》真《しん》爛《らん》漫《まん》さから勢いよく飛び出す。確かに、韓国では小銭を使うのは一人前の男がすることではないとされる。私も小さいころ、勤めから帰って着がえた父のズボンのポケットから、いつもジャラジャラと小銭が出てくるのが面白くて、父が帰るたびにポケットを探って遊んだものである。
ある土地で成功した者なら、他の土地で生きづらさを感じれば帰ることもできる。しかし日本で働く韓国人ホステスたちのほとんどが、彼女のようには決して帰ることのできない、母国での失敗者であり、またはずされ者たちなのだ。
二五歳は結婚適齢期の上限であり、働く女性の年齢の上限でもあることは、酒場でもママさんハウスでも変わりはない。水商売をして二五歳を過ぎた女が働ける場所が韓国にはない。だから彼女たちの多くが日本を目指す。同様に、離婚をした女たち、処女を失った結婚前の女たちを受け容《い》れる場は韓国には水商売しかない。そして同国人の目を気にする彼女たちがまた、日本を目指すのである。
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